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大丸から見た伊勢丹
1972年開店-1985年閉店。東京都八王子市横山町18-7 JR中央線八王子駅北口 甲州街道沿い。八王子は前述の町田とともに「絹の道」として輸出用の生糸が運ばれた要所。江戸進出時の風呂敷のことが「八王子織物史」で語られるほど縁の深い町だった。1970年に東京近郊(都心から50km)のベッドタウンとして注目され人口が25万を突破。伊勢丹(1969)、西武百貨店(1970)に続き、3番手の百貨店として開店(丸井、ダイエーよりも後)。各社がしのぎを削っていた。大丸は駅から一番遠いところにあったが、逆に一番駅よりの伊勢丹の方が先に撤退している。大丸閉店の引き金になったのは、1983年の「八王子そごう」の駅ビル進出だった。(大丸 フレッシュアイペディアより)
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新宿区から見た伊勢丹
現在の歌舞伎町一丁目と新宿五丁目のそれぞれ一部。おおむね、歌舞伎町一丁目の町域のうち新宿遊歩道公園より東側と、新宿五丁目の町域のうちモスバーガー新宿五丁目店(靖国通り沿い)よりも西側エリアが当時の三光町の町域。(伊勢丹別館やOIMEN新宿を含む。ただし、新宿六丁目交差点付近の一画は除く。)当時、番衆町(東)・角筈一丁目の飛地と東大久保一丁目(北)・歌舞伎町一丁目(西)・新宿二丁目と三丁目(南)に接していた。1978年(昭和53年)7月、住居表示実施に伴い消滅。三光町は古くは四谷三光町という交差点の名称や、都電やバスの停留所名ともなっていたことから、小説の舞台として登場するなど長らく親しまれていた。由来は花園神社の別名「三光院稲荷」から。(新宿区 フレッシュアイペディアより)