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伊勢孝夫から見た中日ドラゴンズ
近鉄在籍時の1969年5月18日、対阪急ブレーブス戦でジムタイルが本塁打を放ったが、両足に故障を抱えていたジムタイルが一塁に到達する前に肉離れを起こしてしまい、審判団が走行困難とみて代走の起用を認めた。その代走に伊勢が起用され、伊勢がベンチから打席に向かい、そこからダイヤモンドを一周した。その結果、本塁打・打点はジムタイルに記録されるものの伊勢に得点1が記録された(なお、この年のジムタイルは本塁打8、得点7という珍記録を残している)。本塁打の代走が認められた日本プロ野球第1号選手である(2例目は中日ドラゴンズ・山口幸司。1991年6月18日の対横浜大洋ホエールズ戦での彦野利勝の代走)。(伊勢孝夫 フレッシュアイペディアより)
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伊勢孝夫から見たオリックス・バファローズ
引退後はヤクルト打撃コーチ(からは二軍・ -、-は一軍)、に広島東洋カープの一軍外野守備・走塁コーチに就任し翌は一軍打撃コーチを務めた。二度目のヤクルト打撃コーチ時代には監督の野村克也の下で3度のリーグ優勝、2度の日本一に貢献した。監督の佐々木恭介に請われて、に一軍ヘッド兼打撃コーチとして近鉄に復帰しからまでヘッドコーチを務め2001年のリーグ優勝に貢献している。からまで近鉄編成本部長を務め、 はオリックス・バファローズ調査担当、に巨人のスコアラー、翌は一軍打撃コーチ補佐を務めた。(伊勢孝夫 フレッシュアイペディアより)
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伊勢孝夫から見たフィル・クラーク (内野手)
外国人選手のプライドを傷つけずに、かつ的確な指導をする。ヤクルトコーチ時代の、前半戦にスランプに陥ったジャック・ハウエルをオールスターゲーム期間中につきっきりで指導して後半戦の大爆発につなげたり、近鉄コーチ時代はタフィ・ローズやフィル・クラークに打撃に関して的確な指導をしていた。そのローズからは「日本のお父さん」と慕われ、伊勢のコーチ退任後も、ローズが不振に陥れば伊勢に指導を請うこともあった。またクラークも引退後コーチになり、指導する際に伊勢から教わったことを元に指導しているという。(伊勢孝夫 フレッシュアイペディアより)