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三日平氏の乱 (鎌倉時代)から見た伊賀国
三日平氏の乱(みっかへいしのらん)は、鎌倉時代初期、伊勢国と伊賀国で平家の残党が蜂起した事件。建仁3年(1203年)12月に伊勢平氏の若菜盛高らが蜂起し、討伐に向かった鎌倉幕府軍の平賀朝雅が、元久元年(1204年)4月10日から12日の間に反乱軍を鎮圧した事から「三日平氏の乱」と称された。(三日平氏の乱 (鎌倉時代) フレッシュアイペディアより)
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稲富氏から見た伊賀国
稲富氏は本姓は平氏。家系は桓武平氏維衡流、伊勢・伊賀の本拠地とする伊勢平氏一門の支流である。元は伊賀国の山田氏、丹後国に向った後に稲富氏と名乗ったと言われている。稲富流、砲術家として名を馳せた。稲富流砲術の開祖は稲富祐秀の孫である伊賀守稲富祐直。鎌倉時代には丹後に弓木城(稲富城)を築城し、代々居城とした。後に清和源氏義国流足利家一門の一色氏に砲術に定評がある稲富氏当主、稲富祐秀が軍師として仕えた。安土桃山時代には城主稲富祐直が弓木城にて主家である一色義定軍と共に織田信長方の細川軍と激戦を繰り広げ、これを撃退し続けた。義定の叔父、一色義清が討たれて当主の丹後守護一色氏が滅んだ後は豊富秀吉の計らいで細川氏に仕え、江戸時代には徳川家に砲術指南役として仕えた。(稲富氏 フレッシュアイペディアより)
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