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  • 阿保氏

    阿保氏から見た伊賀国伊賀国

    祖とされる息速別命(いきはやわけのみこと)は垂仁天皇と妃薊瓊入媛との間の皇子。『新撰姓氏録』によると、幼少の時に天皇が息速別命のため伊賀国阿保村(三重県伊賀市阿保)に宮室を築いて同村を封邑として授け、子孫はその地に住居した。允恭天皇期、息速別命4世孫の須珍都斗王(須禰都斗王とも)に対し、地名に因み「阿保君」の姓が与えられたのが初めとされる。天平宝字8年(764年)には、公(君に同じ)を改め「阿保朝臣」の姓が与えられた。阿保氏 フレッシュアイペディアより)

  • 西富田地区

    西富田地区から見た伊賀国伊賀国

    西富田は武家町の中でも特殊で、さまざまな職能集団が住んだ。たとえば、鷹匠町には鷹匠(ただし実際は大道などに多かった)、幟町には御幟の者、定普請町(現 栄町)には定普請(土木工事)の者、御弓丁(現 弓町)には御弓の者(弓兵)、伊賀士丁(現 伊賀町)には伊賀役(忍者)が住んだ。これらは、町人の職能集団の町だった北隣の新町と対になっている。西富田地区 フレッシュアイペディアより)

  • 巨勢親王

    巨勢親王から見た伊賀国伊賀国

    大同5年(810年)2月に巨勢親王のために近江・伊賀両国から各4,000束の稲が叔父・嵯峨天皇から贈られている。同年9月の薬子の変により父・平城上皇が出家して同母兄・高岳親王が廃太子された際には、まだ幼少であったらしく処罰を受けていない。巨勢親王 フレッシュアイペディアより)

  • 三重県道755号老ヶ野古田青山線

    三重県道755号老ヶ野古田青山線から見た伊賀国伊賀国

    伊賀と伊勢の旧国境界に当たる青山高原の南部稜線に沿う県道。全区間舗装はされているが、荒れた路面が多く、狭隘区間も多い(ただし、青山峠から津市白山町の青山高原保健休養地までの区間は別荘分譲地へのアクセス路となる為、比較的整備されており、幅員も片道1車線分が確保されている)。三重県道755号老ヶ野古田青山線 フレッシュアイペディアより)

  • 巡見使

    巡見使から見た伊賀国伊賀国

    三河・駿河・遠江・尾張・伊勢・伊賀・美濃・飛騨・甲斐・信濃の10国。巡見使 フレッシュアイペディアより)

  • 林門入斎

    林門入斎から見た伊賀国伊賀国

    伊賀国で鉄砲鍛冶松屋彌左衛門の子として生れ、泉州堺にいた頃に、同じ堺にいた利玄に碁を学ぶ。天正18年(1590年)に父とともに徳川家康の関東御入国に付いて江戸に移る。浜松城に呼ばれて碁を打ったところ実力を認められ、剃髪して在京の坊主仲間として取り立てられて、本多佐渡守より林姓を与えられて門入を名乗る。その後本因坊算砂に付いて上手並となった(林家文書)。慶長15年(1610年)には、駿府で本因坊算砂と利玄、中村道碩と門入(勝)の対局があった(「当代記」)。寛文5年(1665年)には、息子の三入(後に算碩に改名)が安井算知らとともに鹿苑寺住職鳳林承章を訪ね、また承章や算知らとともに算碩を伴い大徳寺芳春院に同席するなど、安井家とも親交が深かったと見られている(「隔蓂記」)。林門入斎 フレッシュアイペディアより)

  • 伊勢崎藩

    伊勢崎藩から見た伊賀国伊賀国

    忠良(ただかた)〔従五位下。伊賀守〕伊勢崎藩 フレッシュアイペディアより)

  • 秋元知朝

    秋元知朝から見た伊賀国伊賀国

    秋元 知朝(あきもと ちかとも、安永5年4月12日(1776年5月29日) - 寛政12年10月24日(1800年12月10日))は、出羽山形藩の嫡子。第2代藩主・秋元永朝の四男。正室は浅野重晟の娘。官位は従五位下、伊賀守。秋元知朝 フレッシュアイペディアより)

  • 杣工

    杣工から見た伊賀国伊賀国

    都の建設や寺院の造営が盛んになると、大量の木材を確保することを目的に畿内やその周辺の山林が官司や貴族、寺社によって杣に指定され、多くの杣工・杣人が杣司の指揮の下で杣取作業に従事していた。また、杣工には本工と新工の階層別の区別があった。杣工は作業中は施業主から食物を支給されたが、それ以外の時期における食物を確保するために杣の周辺において焼畑による粟などの栽培をはじめとする各種農業も行い、また柴や薪の販売、炭焼きや狩猟などを合わせて行うことで、そのまま定住生活を送る者もいた。それに着目した杣の所有者は杣工のための農地確保を理由として杣の周辺を寺領として編入して荘園としていった。東大寺の杣であった伊賀国板蠅杣が周辺の農地を編入して黒田荘に発展していったのはその典型であった。また、天皇に奉仕した八瀬童子も元は杣工として柴木や栗柿などの献上を行っていた人々であった。また、杣工は仲間内で「山口祭」などの独自の祭祀を行うなど、平地の人々から見れば特異な生活を行う「山人」であり、畏怖の対象ともなった。杣工 フレッシュアイペディアより)

  • 杣司

    杣司から見た伊賀国伊賀国

    古代、木材の搬出のために官司や貴族・寺院によって設定された杣には、その作業を管理するための機関が設けられていた。造寺司に設置されていた「山作所」はその典型であり、他にも「作所」などの名称で呼ばれていた。そうした経営機関を構成していたのが杣司であった。例えば、東大寺の山作所であった伊賀国板蠅杣の山作所では、杣別当・専当・頭領などの杣司がおり、杣工や筏師などを率いて杣の伐採から製材、更に筏を用いた東大寺への搬出作業にあたらせていた。また、板蠅荘は後に東大寺の荘園である黒田荘へとなっていくが、その四至拡大などにも杣司の関与が見られ、彼らは後に現地における荘官へと転身していくことになった。杣司 フレッシュアイペディアより)

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