-
セントラル警備保障から見た住友商事
1966年(昭和41年)に設立、直後ビートルズ来日公演の際に警備を引き受けた。警備サービス業では業界第3位。「週刊ダイヤモンド」では天下りの多い企業ランキングで第4位にランクインしている。企業沿革から(三井グループの企業の一つ)、三井物産、住友商事、日本貨物鉄道(JRF(JRフレート)・パトロールズという警備部門の研修を請け負う)、東日本旅客鉄道(JR東日本)、日立ビルシステム、ケンウッドなど提携関係にある。各社本社屋の施設警備も担当している。1972年(昭和47年)の警備業法施行までは警察官の旧型制服に酷似した制服を使用(色が警察の紺に対して茶色)。(セントラル警備保障 フレッシュアイペディアより)
-
辛坊治郎から見た住友商事
大学3年時に司法試験を受けるが不合格。その後、夏休みを挟んだ3ヶ月間、西ヨーロッパ・モロッコ・トルコなどを旅した。4年次の就職活動で埼玉県庁の上級職試験に合格し、住友商事の内定も受けた。ある日、大学の就職部の掲示板でフジテレビのリポーター・司会者(アナウンサー)募集のチラシを見て、受けるだけで1000円もらえたことから受けたところ、受験者1300人の中から7次試験の最終面接3名まで残った。フジテレビの入社試験は担当希望の番組を訊かれた際に「リビング11(お昼の通販番組)を担当したい」と答えてしまい落ちたが、12月に大阪の読売テレビから突然電話があり、「フジテレビの最終で落ちたそうだが良かったら弊社を受けてみないか」と誘われたため、読売テレビを受け合格。埼玉県の上級職・住友商事・読売テレビの3つ選択肢があったが、読売テレビに決めた。本人は、自身の講演会で「始業時間が朝10時と一番遅かったから」と冗談を飛ばしている。(辛坊治郎 フレッシュアイペディアより)
-
日建設計から見た住友商事
日建設計の起源は、1900年(明治33年)に設立された住友本店臨時建築部である。現在の法人格としての設立は、戦後住友の商事会社として発足した日本建設産業(現・住友商事)の建築部門を本来の建築の設計監理業務に復元するため、商事会社から分離独立させることになり、1950年(昭和25年)7月1日に日建設計工務(株)を新設し、この新会社に建築部門が譲渡された。歴史的経緯から住友系企業との結びつきは強く、住友系ビルの多くを手がけている。国内外の有名建築家との共作も多い(例:国際子ども図書館、さいたまスーパーアリーナ等)。また、国家プロジェクトレベルの大規模開発の計画、設計をする能力も高く、近年ではホーチミンの都市再開発マスターアーキテクトにも指定されている。(日建設計 フレッシュアイペディアより)
-
シネマコンプレックスから見た住友商事
シネマコンプレックスを運営する各社の資本関係は大きく変わりつつある。2009年9月30日に松竹マルチプレックスシアターズの資本から三井物産が撤退し、松竹の完全子会社になった。2011年3月1日には同社に松竹が映画興行事業を移管した。これにより9大都市ロードショー館は松竹、ローカル館は松竹マルチプレックスシアターズと言う体制から他社と同様に全国を同一会社で運営することになった。2013年2月28日にはワーナー・マイカルからタイム・ワーナーグループが資本を撤退し、イオンの完全子会社となった。同年7月1日にはワーナー・マイカルを存続会社とし同じくイオンの完全子会社であるイオンシネマズを合併し、イオンエンターテイメントとなった。また、屋号もワーナー・マイカル・シネマズからイオンシネマに変更した。日本上陸当初は多くの外資系のシネマコンプレックスが存在していたが、これにより外資系資本は全て撤退したことになる。2012年3月9日にはユナイテッド・シネマが住友商事から投資会社のアドバンテッジパートナーズ傘下のユナイテッド・エンターテインメント・ホールディングス株式会社(以下、UEH)に売却された。2013年3月29日には角川シネプレックス株式会社が同じくUEHに売却され、同年6月1日にユナイテッド・シネマ株式会社を存続法人として合併した。これにより、ユナイテッド・シネマはイオンエンターテイメント、TOHOシネマズに続く第3位のスクリーン数を持つ興行会社となった。ユナイテッド・シネマはその後2014年8月にローソンがグループ内でプレイガイド(ローソンチケット)やCD・DVDソフト販売店(HMV)を運営しているローソンHMVエンタテイメントの子会社を通じて株式を取得し、ローソングループに入っている。(シネマコンプレックス フレッシュアイペディアより)