-
世界残酷物語から見た佐藤純彌
この映画の邦題は、公開の前々年にヒットした大島渚監督の『青春残酷物語』(1960年)を意識して配給会社が考案したものだが、「カメラは残酷なまでに現実を捕らえる」と言う意味が込められている。原題は「犬の世界」だが、この場合の「犬」とはイタリア語のスラングであり、直訳では意味が通らないこともあったのだろう。なお、この作品以降、ヤコペッティ自身により続編や多数のモンド映画が作られたほか、他の映画監督により亜流の映画が多数作られている。日本でも国内の残酷映像を集めた『日本残酷物語』(1963年、中川信夫・小森白・高橋典共同監督、新東宝興行)という映画が公開された。東映映画の多くの題名の命名者としても知られる岡田茂(元東映社長)が、1963年今井正監督の映画に『武士道残酷物語』というタイトルを付けた。また同年の佐藤純彌監督デビュー作にこれによく似た『陸軍残虐物語』とタイトルを付けたら、ヤクザや右翼が「残虐」とは何かと東映に押しかけ言い合いになったという話がある。この他、『幕末残酷物語』(1964年、加藤泰監督)など、印象的なタイトルを借用した劇映画も作られている。(世界残酷物語 フレッシュアイペディアより)
-
-
ゴルゴ13 (1973年の映画)から見た佐藤純彌
作者のさいとう・たかをは東映から映画化を打診されたが乗り気でなく、「無茶な条件を出せば、あきらめるだろう」と思い、「オール海外ロケ」「主演は高倉健」と条件を出したところ、東映がまるまる受け入れたので製作された。プロデューサーの俊藤浩滋も「日本で撮影するなら映画化を認めない」とさいとうの示す条件が困難なものばかりで苦労したと述べている。高倉以外はすべて外国人俳優で日本人声優によるオール吹き替えがされ、さいとうは綿密な脚本を書き演出の指定もしたが、監督の佐藤純弥は脚本通りに撮らなかったため、さいとうが思い描いた作品とは全く違うものができ、本作にさいとうは不満を抱いている。一方で俊藤は「原作が短編でつまらない。読むのならおもしろいかもしれないが、映画の2時間枠に収めるとなると、ドラマのうねりが必要」と脚本作りに四苦八苦していた。パーレビ体制時代のイランが製作協力しており、なんでもパーレビ一族に話を通さないと進まなかった。ロケはテヘランとイスファハン中心に行われ、高倉は外国が好きなことや、ゴルゴ13のようなかっこいい役がお気に入りなので、撮影を楽しんでいた。本作の脚本は『増刊ゴルゴ』6号に掲載されている。(ゴルゴ13 (1973年の映画) フレッシュアイペディアより)