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加波山信仰から見た修行
山麓直下の部落を越えた広範な地域に禅定講(ぜんじょうこう)が組織され、講員は旧7月から8月の1箇月間、加波山山中に散在する「禅定場(ぜんじょうば)」と定められた巨巌、奇巌、岩窟の各所を巡拝する。禅定(ぜんじょう)は仏教用語の「禅定」に由来し、修験道においては修験者が山中の岩窟に籠もる修行形態を意味し、更に広く山中を抖擻する修行形態をも指すが、加波山においては専ら一般民衆による禅定場の巡拝や山頂を目指す登拝を指している。もっともその場合でも「山先達」と呼ばれる神社からの免許を受けた修験者による指導案内はなされており、これは後述する修験の霊場が一般民衆に開放された結果、修験者に倣って一般民衆が行うようになった修行の一環であると見なされ、その意味で加波山の修験霊場的性格を表すものと指摘できる。なお各所の禅定講も多様な形態と性格とを有すが、概ね加波山禅定を志願する者が集まり、3年、5年と年限を区切って講員全員が禅定を果たす事を目差したものとなっており、起源として結成には山先達の布教に依る所が大であったろう事、加波山権現(3神社)側も経済的基盤を求めてこれを積極的に支持していたであろう事、が共通点として指摘できる。(加波山信仰 フレッシュアイペディアより)
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