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仁義なき戦いから見た倉本聰
登場人物のモデルは大半が実在の人物で関係者が見れば誰が誰なのか一目瞭然のため、初公開時には映画を見た当事者達から大変なクレームを受けた。映画なのでより劇的にキャラクターを膨らませたり、話を面白く脚色するのは当然なのだが、それを理解できない人達からクレームがあった。「事実と違う」とか、「ワシはそがいなこまい男じゃない(私はそんなに肝の小さい男ではない)」とか、現役で周りの子分などに格好がつかない人達もいたようである。中には「ワシが出とらん(私が出ていない)」というのもあったらしい。『仁義なき戦い』が劇場公開される前に、京都本社の試写室に山口組三代目の田岡一雄組長が訪れて鑑賞したが、後に間に人を立てて親分が岡田社長に伝えた内容は「よう(広島の)若いモンがだまっとるこっちゃ。もしワシの事だったらシシャが行くがな」だったとされる。この"シシャが行く"の意味は未だ謎である。逆に「お蔭で息子も浮かばれました」と亡くなった人物の母親から感謝されることもあったという。この母親をモデルに創作したのが、第三部「代理戦争」で渡瀬恒彦演じる倉元猛の母親で、名前は第一部を観て笠原に電話をかけてきた倉本聰をもじったものという。美能幸三は第一部封切りのあと「おっ母さんが泣いて喜んでくれた」と笠原に電話してきたという。「ヤクザ映画最悪のヒール」として描かれている金子信雄演じる山守義雄こと山村辰雄の場合は、同じくヒールとして描かれた姐さんが撮影現場を訪れ、役者と談笑していたというから、山村はしょせん映画は映画と考えていたのではといわれている。この他、広島抗争で重要な役割を果たしたといわれる波谷守之は「仁義なき戦い」五部作にまったく登場しないが、波谷をモデルにした『最後の博徒』では、別角度から見た「仁義なき戦い」が描かれている。(仁義なき戦い フレッシュアイペディアより)
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勝海舟 (NHK大河ドラマ)から見た倉本聰
当初、主人公の勝海舟役は渡哲也だったが、渡が肋膜炎に倒れて降板、渡が第9回まで務めた後に異例の主役交代となり、第10回以降は松方弘樹が引き継いだ。松方は好評だった1965年の『人形佐七捕物帳』に主演して以来のNHKドラマである。放送時はNHKの労使対立問題で現場が混乱して制作体制が定まっておらず、全話収録終了後に松方の不満が爆発、脚本の倉本聰が勅使河原平八ら演出スタッフと衝突して降板し東京を去り、中沢昭二に交代した( ⇒ )。最高視聴率は30.9%、年間平均視聴率は24.2%(関東地区・ビデオリサーチ調べ)だった。(勝海舟 (NHK大河ドラマ) フレッシュアイペディアより)
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