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元木大介から見たオリックス・バファローズ
2003年以降は度重なる故障に悩まされ、2005年は堀内恒夫監督のチーム若返りの方針により後半戦は戦力構想から外れて2軍生活を送ることとなり、活躍の場を失った。これに不貞腐れて、自軍ダグアウトのベンチ・椅子ではなく階段に体育座りしていたようなところもあった。その年の9月に戦力外通告を受ける。オリックスや楽天などから入団の誘いがあったものの、浪人してまで巨人入団を1年待った経緯もあり、「ジャイアンツが好きだから、入団したときからこのチームでいらないと言われたら辞めようと決めていた」と33歳の若さで現役を引退。後藤孝志と共に自ら身を引く形となった。世代交代する巨人に迷惑をかけたくなかったという。最終戦で引退試合に出場した。(元木大介 フレッシュアイペディアより)
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元木大介から見た千葉ロッテマリーンズ
同年のドラフト会議では読売ジャイアンツの指名を希望するが、巨人は大森剛を1位指名。福岡ダイエーホークスから野茂英雄の外れ1位で指名されるがこれを断り、1年間ハワイに野球留学する。実際にはハワイの環境では本格的な野球練習は出来ず、大学・社会人に進むと次回ドラフト指名まで年数がかかるためそれを避ける行動だったといわれる。この野球留学中、ベニー・アグバヤニ(元・千葉ロッテマリーンズ)とチームメイトになり、知り合いになったという。(元木大介 フレッシュアイペディアより)
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元木大介から見た全国高等学校野球選手権大会
上宮高校で甲子園に3回出場。1989年の夏の甲子園では1試合2本塁打を放つなど注目された。同校では種田仁、小野寺在二郎、星田英利(お笑い芸人)とチームメイトである。高校通算24本塁打。甲子園通算6本塁打は清原和博に次いで歴代2位タイ(桑田真澄と同数)の記録である。(元木大介 フレッシュアイペディアより)