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漆原朝子から見た全日本学生音楽コンクール
4歳でヴァイオリンを始め、鷲見三郎に師事した。1977年、相模原市立相模台小学校5年生の時、全日本学生音楽コンクール東京大会小学生の部で第3位を受賞した。なお、この年の東京大会第1位は同じ5年生の渡辺玲子、全国大会第1位はやはり同じ5年生の竹澤恭子だった。1979年、習志野市立第一中学校1年生の時、同コンクール中学生の部で東京大会、全国大会ともに第1位を受賞。1982年、東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校に進学し、第51回日本音楽コンクールに出場して第2位を受賞した(第1位は竹澤恭子)。1983年、高校2年生の時、第2回日本国際音楽コンクールで最年少で第1位を獲得。(漆原朝子 フレッシュアイペディアより)
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遠山慶子から見た全日本学生音楽コンクール
東京市本郷区西片町(現在の東京都文京区西片)に生まれる。父親はいわゆる高等遊民だったという。祖父は陸軍大佐。4歳で鎌倉市材木座に転居する。5歳でヴァイオリンを買ってもらったがうまく弾けなかったので即座に叩き壊し、6歳からピアノを井上貞吉に師事する。病弱ゆえ鎌倉市立第一小学校の養護学級に入学する。8歳のとき父に連れられて日比谷公会堂でモーツァルトの『レクイエム』(ヨーゼフ・ローゼンシュトック指揮、新交響楽団)を聴いたとき、不気味さに失神して病院に運ばれる(このときコーラスの中に、将来夫となる遠山一行がいた)。片瀬乃木小学校(現在の湘南白百合学園小学校)に編入学したが、校風を偽善的と感じたために不登校となり、4年生で第一小学校に復帰する。1946年7月27日に父を結核で亡くし、母方の祖父に引き取られて東京都世田谷区松原に移る。家計が貧窮したためにピアノの勉強を中止しかけたが、井上の好意により無償でレッスンを続けることができた。1947年、第1回全日本学生音楽コンクールで東日本大会一等に入賞。審査委員長の野村光一から絶賛される。(遠山慶子 フレッシュアイペディアより)
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三上亮 (ヴァイオリニスト)から見た全日本学生音楽コンクール
1993年、両国高校在学中に第47回全日本学生音楽コンクール東京大会にて第2位。(三上亮 (ヴァイオリニスト) フレッシュアイペディアより)
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モルゴーア・クァルテットから見た全日本学生音楽コンクール
1971年、全日本学生音楽コンクール中学の部で東日本第2位を獲得。1973年には、同コンクール高校の部で全国1位を獲得した。(モルゴーア・クァルテット フレッシュアイペディアより)
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