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アンパサンド (競走馬)から見た内田博幸
2007年、初戦のニューイヤーカップでは1番人気に支持されるも3着。内田博幸騎乗で出走した京浜盃では後方からの展開。直線で外から伸びて先に抜け出したトップサバトンを追い詰めるが、1/2馬身差の2着に終わった。(アンパサンド (競走馬) フレッシュアイペディアより)
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フレンドシップ (競走馬)から見た内田博幸
次戦に選ばれたのは、前年に同厩のカネヒキリが制したジャパンダートダービーとなった。同年に南関東の交流重賞等で多くの勝ち星をあげていた地元大井競馬場の名手内田博幸に騎乗依頼し快諾。ユニコーンステークスを勝ったナイキアースワークに次ぐ2番人気に支持されてレースを迎えた。レースは羽田盃を勝ったサンキューウィンが逃げる中で好位3番手を追走。2番手から直線半ばで先頭に立ったバンブーエールを抜き去り、最後は1馬身以上の差をつける快勝で初重賞制覇がG1初制覇となった。また、鞍上の内田博幸も本レース初の勝利、管理する角居勝彦調教師は前年に続く連覇となった。(フレンドシップ (競走馬) フレッシュアイペディアより)
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シルクメビウスから見た内田博幸
2010年4月25日のアンタレスステークスから始動。スタートで後手を踏み、向正面でポジションを押し上げて中団から脚を伸ばすも届かず5着に敗れた。次走の東海ステークス(中京競馬場改修の影響で京都ダート1900mでの変則開催)では中団追走から直線で末脚を伸ばし、ゴール前でトランセンドをクビ差交わして重賞2勝目を挙げた。ブリーダーズゴールドカップでも同様の鋭い末脚で2着のカネヒキリに4馬身差をつけ優勝。秋に入り11月3日のJBCクラシックでは中団から追い上げるも4着止まりだった。12月5日のジャパンカップダートでは後方から脚を伸ばしたがトランセンドの5着に敗れた。その後は12月29日に行われた東京大賞典では鞍上が内田博幸に乗り替わって出走したがスマートファルコンの5着に終わった。(シルクメビウス フレッシュアイペディアより)
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ポップロック (競走馬)から見た内田博幸
2008年、1月16日に発表された2007年度のワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングでは、122ポンドでメイショウサムソンと並び17位タイとなった。1月31日にドバイシーマクラシックへ選出されたが、遠征せずに阪神大賞典の一ヶ月前に栗東トレセンへ帰厩し、同レースに出走。圧倒的1番人気に支持されるが3着だった。そして内田博幸とのコンビで迎えた大一番、天皇賞(春)では12着と全く見せ場を作れず、デビュー以来初の二桁着順を記録した。その後、休養した後の秋初戦は前年と同じく京都大賞典。しかし、7着に敗れた。そして本番の天皇賞(秋)でも14着と惨敗した。(ポップロック (競走馬) フレッシュアイペディアより)