-
オウケンブルースリから見た内田博幸
続いて9月28日には神戸新聞杯(JpnII)に出走。初のオープンクラスでのレースでしかも重賞レースであったが、ディープスカイの3着に入り菊花賞の優先出走権を得た。10月26日の第69回菊花賞では混戦模様の中、単勝3.7倍の1番人気に支持され、レースでは阿賀野川特別からコンビを組む内田博幸を鞍上に、道中は中団からやや後方あたりからレースを進め、最後の直線で先頭に立つと後続を引き離し、内から詰め寄ったフローテーションに1馬身1/4の差をつけてゴールし、重賞及びJpnI初制覇を飾った。なお、デビューから184日目での菊花賞制覇は、1990年のメジロマックイーンの記録(275日目)を塗り替えて、2歳(旧3歳)戦がスタートした1946年以降の史上最短菊花賞勝利記録となった。また、福島競馬場でデビューした馬が菊花賞を勝ったのも史上初。(オウケンブルースリ フレッシュアイペディアより)
-
落馬から見た内田博幸
2010年1月11日の中山競馬場において、第4競走・3歳新馬でノボプロジェクトが第4コーナーで急に外側へ斜行したことの影響で出走16頭中9頭が落馬した。1つのレースでの落馬頭数としては中央競馬史上最多。ノボプロジェクトは1位入線も失格となり、騎乗していた三浦皇成は進路妨害が認められ、4日間の騎乗停止となった。落馬した9頭に異状はなかったが、内田博幸が左尺骨近位骨幹部骨折の重傷を負うなど騎手6人が負傷や検査によりその後のレースの騎手変更を余儀なくされた(詳細については9頭落馬事故を参照)。なお、地方競馬では1979年2月に園田競馬場で出走11頭中8頭が落馬する事故が発生している。(落馬 フレッシュアイペディアより)
-
桜花賞 (浦和競馬)から見た内田博幸
浦和競馬場の1600mコースは「コーナーの途中からスタートする」と酷評されることもあるほど特徴的なため、内枠また浦和出走経験のある馬にやや有利なことが多いといわれる。またこのレースは1番人気が負けやすく、2005年には内田博幸騎乗のヨウヨウが2着に敗れ2007年の1番人気馬のブラックムーンに至っては馬体故障で競走を中止するアクシデントも発生した。(桜花賞 (浦和競馬) フレッシュアイペディアより)