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2017年の日本競馬から見た内田博幸
前年(2016年)12月29日に大井競馬場で開催された『第62回東京大賞典』に出走し1着に入線したアポロケンタッキー(当時牡4歳、栗東・山内研二厩舎、内田博幸騎乗)の尿から規制薬物である「デキサメタゾン」(消炎鎮痛剤)が検出されたことが明らかになり、これを受けてJRAは第1回の裁定委員会を開催したことを1月13日に公表した。その後管理調教師の山内から提出された弁明書を経て、1月23日に行われた第2回の裁定委員会において山内に対し過怠金30万円の処分を科した。(2017年の日本競馬 フレッシュアイペディアより)
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勝負服 (競馬)から見た内田博幸
中央競馬の騎手が地方競馬場に指定交流戦のために遠征し、その遠征馬の他に一般戦などで地元所属の馬に騎乗する場合については、基本的には枠順に合わせた色の勝負服がJRA所属騎手用とし用意される。ただし、兵庫県競馬(園田、姫路)では、元兵庫所属のJRA騎手である岩田康誠が地元所属馬に騎乗する場合、馬券を購入する地元の競馬ファンの混乱防止の観点から、地方競馬時代に使用していた服色の勝負服を着用している。また、岩田以外の元地方所属だったJRA騎手が騎乗する場合、地方所属時代の勝負服をイメージできる色の貸し服を着用する(小牧太:緑・内田博幸:青など)。武豊はこれらに該当しないが、ゴールデンジョッキーカップに招待されることが多いということもあり、ピンク色の勝負服を着用する。同様に南関東地方競馬でも、2008年3月より騎手の取り扱いについて変更を行い、中央競馬に移籍した元南関東地区所属の騎手について、中央所属馬に騎乗する時以外は地方競馬当時の服色での騎乗が可能となった。これは大井競馬場のトップジョッキーであった内田が中央競馬に移籍したことに伴って行われた変更である。また川崎競馬場では、2011年から「一定の基準」を満たしたJRA所属騎手については、各自がデザインした勝負服の着用を認めることとした。(勝負服 (競馬) フレッシュアイペディアより)
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今野忠成から見た内田博幸
2002年に初めて年間100勝以上を記録。NARグランプリ2005ではベストフェアプレイ賞を受賞し、2006年には地元重賞を5勝し、通算1000勝も達成した。さらに11月12日の東京競馬場で行われたオーロカップで、ダイワバンディットに騎乗しJRA初勝利を挙げる。11番人気の低評価を覆してのものだった。ちなみにこのレースでの2着馬、コイウタに騎乗していたのは当時大井競馬場に所属していた内田博幸で、JRAのメインレースで地方競馬所属騎手が1・2着を占めた。翌週の11月22日の浦和記念をケイアイミリオンで逃げ切りダートグレード競走2勝目となった。また、川崎競馬場の騎手会長を務めていた岡村裕基騎手が2006年7月31日付で引退したことを受けて、同年8月より同競馬場の騎手会長に就任した。(今野忠成 フレッシュアイペディアより)