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内田博幸から見た佐々木竹見
2006年にはアジュディミツオーとのコンビで南関東公営上半期の古馬統一GIを完全制覇。7月に入ると、12日にはジャパンダートダービーをフレンドシップで制覇、18日には南関東史上9人目、現役では4人目となる通算2500勝を達成した。10月には、佐々木竹見の不滅の金字塔と言われた3年連続400勝突破を達成。12月の全日本2歳優駿では、後に地方競馬所属として史上最高獲得賞金を収得することになるフリオーソでレースを制し、年間500勝を達成した。また、18日の浦和競馬第11競走でトーセンマンボに騎乗して勝利し、佐々木の持つ年間505勝の日本記録を塗り替え、最終的には524勝まで勝ち星をのばした。(内田博幸 フレッシュアイペディアより)
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内田博幸から見た赤間清松
その後赤間清松厩舎へ移籍して赤間のもとで徹底的に鍛えられ、1990年代には「追える若手騎手」として南関東地区では知られる存在であったが、的場文男や石崎隆之をはじめとする南関東のトップジョッキーたちの中にあっては影が薄かった。また、自身の騎乗馬で重賞を勝つチャンスがありながら騎乗停止処分でレースに騎乗できなくなり、乗り替わった騎手に重賞を勝たれたこともあった。しかし2000年ごろから南関東リーディングの上位に進出するようになり、リーディングトレーナーである船橋・川島正行厩舎の主戦騎手として、2004年には385勝(ほか中央競馬28勝)を挙げ的場・石崎時代に終止符を打つ初の南関東リーディング獲得、同時に初の地方競馬全国リーディング獲得でNARグランプリ最優秀騎手賞受賞。(内田博幸 フレッシュアイペディアより)
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内田博幸から見たドバイワールドカップ
2005年には465勝(ほかに中央競馬で31勝)をあげ、2年連続の南関東リーディングジョッキーとなった。そのうえ、南関東地区の4競馬場(大井競馬場、川崎競馬場、船橋競馬場、浦和競馬場)ごとのリーディングをもすべて獲得している。同年には通算2000勝を達成し、名実ともに地方競馬を代表する現役騎手のひとりとなった。また、同年3月26日に開催されたドバイワールドカップにはアジュディミツオーとともに地方競馬からの初参戦を果たすが6着に終わった。(内田博幸 フレッシュアイペディアより)
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内田博幸から見たオールカマー
中央競馬の初騎乗は1993年7月25日の新潟競馬4歳未勝利戦で、同日施行のBSNオープンでドラールオウカンへの騎乗に伴うもの、同じくドラールオウカンのオールカマーで中央競馬の重賞競走も初騎乗となる。また1995年には当時施行されていたヤングジョッキーズワールドチャンピオンシップにも参戦。以降も騎乗機会を確保できれば中央へ積極的に参戦する姿勢を見せており、重賞は2003年の共同通信杯をラントゥザフリーズで、2005年のニュージーランドトロフィーをマイネルハーティーで制している。2005年の朝日杯フューチュリティステークスではスーパーホーネットに騎乗して2着となった。(内田博幸 フレッシュアイペディアより)
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内田博幸から見た地方競馬全国協会
2008年、すでに中央競馬で2年連続20勝を達成していたため1次試験を免除され、2月上旬に行われた2次試験を受験して合格。3月1日付で日本中央競馬会所属騎手となった。地方競馬全国協会の騎手として最後の大井競馬場での騎乗となった2月22日には壮行会が行われ、地方競馬全国協会の騎手として最後の騎乗地となった川崎競馬場では2月27日に「内田博幸騎手を送る会」が行われた。地方競馬全国協会の騎手として最後の騎乗レースは同日のエンプレス杯となり(ラピッドオレンジに騎乗して6着)、中央移籍までに地方競馬通算17680戦3153勝の成績を残した。(内田博幸 フレッシュアイペディアより)