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内藤大助から見たポンサクレック・ウォンジョンカム
2002年4月19日、敵地タイでポンサックレック・シンワンチャー(タイ)の持つWBC世界フライ級王座に挑戦し、世界フライ級タイトルマッチ史上最短記録となる1R34秒KO負けを喫する(参照)。しかし、復帰戦でKO勝ちすると、その後も菊井徹平(花形)を下すなど順調に勝ち進みランキングを上昇させる。(内藤大助 フレッシュアイペディアより)
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内藤大助から見た波田陽区
事の発端は2005年1月、当時日本王者だった内藤に対し、同時期にそのビッグマウスと派手なパフォーマンスで良くも悪くもボクシング界の話題の中心にいた亀田三兄弟の長男・興毅が、週刊誌のインタビューで「あんなん弱い。パンチもないしな」と評したのを受け、内藤が興毅に対戦を呼び掛けたことに始まる。しかし亀田陣営は、「誰やそれ? 興味無いわ」「6回戦レベル」などと歯牙にもかけない態度を貫いていた。これに対し内藤も負けじと、当時流行していたお笑い芸人・波田陽区の持ちネタ「ギター侍」に扮し、「結局逃げられて…残念! 亀田君、たまには日本人とやろうよ…斬り!!」というキャッチコピーを載せたポスターを作製するなどして亀田陣営を挑発した。(内藤大助 フレッシュアイペディアより)
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内藤大助から見た亀田興毅
WBCよりポンサクレックとの王座統一戦を行うことが義務付けられていたが、前述の熊戦の負傷の影響で延期が認められた。それを受け、ポンサクレックは8月28日に母国で升田貴久(三迫)を相手に初防衛戦を行い、6回TKO勝ちで防衛成功。一方の内藤も統一戦の前に防衛戦を1試合行うことを認められ、11月29日、兼ねてから因縁深かった元WBA世界ライトフライ級王者亀田興毅(亀田大毅の兄)と対戦。試合は2Rに興毅の左ストレートが内藤の鼻を捉え、このパンチ以降鼻からの断続的な出血を強いられることとなる。その後も終始、パンチを当てては距離を置くアウトボクシングをする興毅を内藤が追い続ける展開となった。結局、興毅を捉えきれず0-3の判定で敗れて王座から陥落した(参照)。(内藤大助 フレッシュアイペディアより)
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内藤大助から見たテレビ朝日
柔和な喋り方が特徴。母親は非常に厳しい人らしく、これまでに一度も母親から褒められたことが無い。日本チャンピオンになった時も「世界戦を制して初めて褒める価値がある、日本王者になったくらいで偉そうにするな」と言われ、逆に怒られたという。夫人は1歳年上で、2000年に結婚、2人の男児を儲けている。宮田ジムのボクササイズコースに通っているのを見掛け一目惚れしアタックを開始するが、当時夫人には交際相手がいたそうで、困惑していたとのこと(内藤本人は「ストーカー」と自嘲)。しかし、内藤の熱意に押され、その恋人と別れて内藤との交際を開始したという。夫人の両親は都内で惣菜店を営んでおり、ボクシングだけで食えない頃はよく惣菜を分けてくれ、助けられたという。また、収入が不安定だったにもかかわらず、夫人との結婚を許してくれた義理の両親をとても敬愛しており、これまでの感謝の気持ちとして、テレビ朝日系列の人気番組『大改造!!劇的ビフォーアフター』を通じて店舗兼自宅のリフォームを「プレゼント」している。なお、本番組での著名人からのリフォーム依頼は内藤が初めてであり、後に「有名人の実家 リフォーム相談スペシャル」が企画される契機にもなった。(内藤大助 フレッシュアイペディアより)
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