169件中 31 - 40件表示
  • 内藤大助

    内藤大助から見た小松則幸

    2006年6月27日、OPBF東洋太平洋フライ級王者小松則幸(エディタウンゼント)と、史上初の日本・東洋太平洋統一タイトルマッチを行い、小松を6RTKOで破り、日本・東洋太平洋王座の2冠を達成する。同年12月10日には東洋太平洋王座単独の防衛戦を行い、判定で初防衛。内藤大助 フレッシュアイペディアより)

  • 内藤大助

    内藤大助から見た熊朝忠

    2009年5月26日、当時WBC世界フライ級10位の熊朝忠(中国)を相手に5度目の防衛戦。当初は中国・上海での対戦予定であったが、現地のイベント代行業者の不手際によって、直前になり現地での開催を断念。急遽、東京のディファ有明において、前座試合無しのワンマッチ興行、試合チケットは全て当日会場で発売という異例の形で開催された。試合は150cmの熊に懐に潜り込まれた際、バッティングを再三に亘り受けるなどしてペースを掴めず、終始苦戦を強いられた。5Rに偶然のバッティングで右瞼をカット、6Rにはダウン、更に11Rには口内をカットして出血し、同ラウンド終盤には熊の猛攻に防戦一方となった場面もあった。しかし、内藤はパンチを的確に当ててポイントを稼ぎ、全体的には優位に試合を進め、3-0の判定勝ちで5度目の王座防衛に成功した。内藤大助 フレッシュアイペディアより)

  • 内藤大助

    内藤大助から見たタレント

    内藤 大助(ないとう だいすけ、1974年8月30日 - )は、日本の元プロボクサー、タレント、ボクシング解説者。北海道虻田郡豊浦町出身。元WBC世界フライ級王者(第36代)。元日本フライ級王者(第49代)、元OPBF東洋太平洋フライ級王者(第35代)。プロボクサーとしては宮田ジムに所属し、タレントとしてはAK Global Agent(エーケー・グローバル・エージェント)に所属。血液型はO型。異名は「北の剛拳」、「最短男」、「国民の期待」など(詳細は後述)。内藤大助 フレッシュアイペディアより)

  • 内藤大助

    内藤大助から見たTBSテレビ

    2008年に内藤が行った世界タイトルマッチ3試合の中継は、この年のTBSの年間視聴率トップ3を独占し、話題となった。内藤大助 フレッシュアイペディアより)

  • 内藤大助

    内藤大助から見た石黒英雄

    P&G ボールド(2008年) - 石黒英雄と共演。内藤大助 フレッシュアイペディアより)

  • 内藤大助

    内藤大助から見たミゲル・カント

    2007年7月18日、三たびポンサクレックに挑戦。ポンサクレックの王座防衛回数はミゲル・カント(メキシコ)の「14」を上回るフライ級史上最多の「17」にまで伸びていた。一方の内藤は、前年6月27日に小松則幸との日本・東洋太平洋フライ級ダブルタイトル戦に勝利。日本王座4度目の防衛を果たすと同時に東洋太平洋王座獲得を果たし、12月には東洋太平洋王座初防衛に成功していたが、内藤は引退を懸けてこの試合に臨んだという。第1戦・第2戦と違い、内藤は序盤から距離をとり、長いリーチと変則的なアウトボクシングで右ストレートと左フックで有効打を重ねていった。しかし、長期政権を築いていたポンサクレックも要所でコンビネーションブローを決め内藤を追いつめた。内藤は9Rに疲労とダメージによりストップ寸前(防戦一方)に陥ったが、そのラウンド内に逆襲に転じポンサクレックを劣勢に立たせる底力も見せている。試合は判定に縺れ込み、結果、3・3・2差の3-0判定で内藤の勝利。内藤は32歳10か月にして悲願の世界チャンピオンとなった。判定結果を聞いた内藤は自分の右の頬をつねり、「夢ではない」ことを確かめる素振りを見せ、勝利者インタビューでも「夢じゃないかと…。勝っているかどうかは分からなかった。夢中でした」とコメントした。なお、この試合は2007年度の年間最高試合に選出された。内藤大助 フレッシュアイペディアより)

  • 内藤大助

    内藤大助から見たダンテ・カーヴァー

    ソフトバンクモバイル プリモバイル「ケータイもってないブラザーズ」篇(2010年) - アニマル浜口、ガッツ石松、ダンテ・カーヴァーと共演。内藤大助 フレッシュアイペディアより)

  • 内藤大助

    内藤大助から見た八重樫東

    2012年6月よりフジテレビNEXTの『ダイヤモンドグローブ』に解説者として加わることが発表された。また、同月20日に行われた井岡一翔VS八重樫東のWBC・WBAミニマム級王座統一戦でもTBSの中継にて解説者として出演した。内藤大助 フレッシュアイペディアより)

  • 内藤大助

    内藤大助から見た玉袋筋太郎玉袋筋太郎

    『鹿児島?東京3000キロ!トラック乗り継ぎふれあい旅』(2012年6月30日)- では2番手の玉袋筋太郎から引き継いだ3番手として大阪からゴールの東京・築地に至る区間を務めた(「トラック乗り継ぎふれあい旅」では2回連続でアンカーの3番手を務めたことになる)。内藤大助 フレッシュアイペディアより)

  • 内藤大助

    内藤大助から見た升田貴久

    WBCよりポンサクレックとの王座統一戦を行うことが義務付けられていたが、前述の熊戦の負傷の影響で延期が認められた。それを受け、ポンサクレックは8月28日に母国で升田貴久(三迫)を相手に初防衛戦を行い、6回TKO勝ちで防衛成功。一方の内藤も統一戦の前に防衛戦を1試合行うことを認められ、11月29日、兼ねてから因縁深かった元WBA世界ライトフライ級王者亀田興毅(亀田大毅の兄)と対戦。試合は2Rに興毅の左ストレートが内藤の鼻を捉え、このパンチ以降鼻からの断続的な出血を強いられることとなる。その後も終始、パンチを当てては距離を置くアウトボクシングをする興毅を内藤が追い続ける展開となった。結局、興毅を捉えきれず0-3の判定で敗れて王座から陥落した(参照)。内藤大助 フレッシュアイペディアより)

169件中 31 - 40件表示

「内藤大助」のニューストピックワード