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トートバッグから見た電気冷蔵庫
本格的なトートバッグはアメリカのアウトドア・ブランドによるもので、前述通り水や氷を持ち運ぶことを主要な目的に開発された。電気冷蔵庫のなかった時代、食品の低温保存目的に大きな氷を使っていた。そのために、重い氷塊を持ち運べる、強靭なバッグが必要だった。生地はジーンズの2倍の重さのあるものを採用し、そのため外気を遮断し氷が融けにくく、融けた水もこぼれにくい特徴を有していた。これが野外で氷を使うキャンパーや海洋レジャーを楽しむ海の男たちの愛用品となり、「トートバッグ」と呼ばれるようになると、氷以外のものを運ぶのことにも活用されるようになり、ファッション性を帯び女性のハンドバッグとしても一般化するようになった。(トートバッグ フレッシュアイペディアより)
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佐伯旭から見た冷蔵庫
創業者・早川以上の企業家精神を発揮、この後半導体を核とした技術開発力、継続的に差別化商品を生み出していく商品開発力の構築、家電流通構造の転換に対応した新しい販売戦略、財務体制の立て直し、海外での生産など、積極的な経営戦略、選択は成功し電卓の他、ラジカセ、ビデオ、複写機などのOA機器が国際市場で次々ヒットし海外事業も一気に拡大した。この他、発売時にはユニークといわれた左右両開き冷蔵庫、カメラ付き携帯電話などは現在も主力商品として残る。これらをもたらした組織、人材の育成も大きな業績。"技術のシャープ"を作り上げたともいわれた佐々木正、"ニューライフ商品戦略"を確立した関正樹、家電事業を統括した辻晴雄、"電卓博士"と呼ばれ強烈な電卓戦争勝ち抜きの原動力となりOA部門を育て上げた浅田篤ら。昭和50年代(1975年?1985年)の年平均伸長率は売上高18.2%、経常利益37.2%、10年連続増収増益、10年間で売上高約5倍、経常利益18倍という驚異的成長でシャープを大阪の一家電メーカーから、世界のシャープへ、家電から総合エレクトロニクスメーカーへ変身させた。1987年、年商1兆円超えを花道に1986年、辻晴雄にバトンタッチし会長に退いた。1987年相談役、1998年から最高顧問を務めた。生涯を通じて財界活動に関わらない姿勢を貫いた。日本の高度経済成長期を代表する経営者の一人である。(佐伯旭 フレッシュアイペディアより)