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国鉄101系電車から見た新幹線0系電車
本来、中央線用として500両程度作ればよかっただけの101系の製造が完全に打ち切られたのは、103系の製造開始から6年が経過した1969年(昭和44年)であった(電動車が1966年、付随車が1969年)。これは山手線から総武緩行線に101系を転用する際に編成両数の違いから中間に制御車2両を組み込む必要が生じたことと、大阪環状線など一部の増備に際して形式統一の見地から新造車が必要となったためである(大阪環状線への103系投入は1969年の暮れ以降)。また、一部には151系の181系化改造によって余剰となったMT46A形主電動機が流用された。その結果、製造両数は1,535両に及び、国鉄電車としては103系、0系、113系、115系に継ぐ第5位の大量生産車であるが、1,000両近くが101系の性能に適さない路線での使用となった。また、6M4Tでの運転自体も性能ギリギリだったことから冷房化改造も満足にできないなどの弊害があり、103系の設計の間に101系を投入せざるを得なかった総武線は冷房化率を上げることが困難であった。(国鉄101系電車 フレッシュアイペディアより)
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新幹線1000形電車から見た新幹線0系電車
新幹線1000形電車(しんかんせん1000がたでんしゃ)は1962年(昭和37年)、東海道新幹線の開業を控え、試験目的の試作車として製造された新幹線車輛で、いわゆる「鴨宮モデル線」で、256km/hを記録した速度試験をはじめとする各種の試験に供された。2両編成と4両編成の2編成が造られ、2両編成(A編成)は1001・1002号、4両編成(B編成)が1003・1004・1005・1006号で組成されていた。当初は12両製作する予定であったというが、予算緊縮の要請を受けて2編成、6両に半減されたものという。1編成でなく2編成となったのは、すれ違い試験を行う必要からである。一見すると営業車両(0系)にそっくりなようにも見えるが、比較のために曲面窓とされた先頭車両など、細かく見ると相違点は多い。(新幹線1000形電車 フレッシュアイペディアより)
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北近畿タンゴ鉄道KTR700形気動車から見た新幹線0系電車
両形式の主要諸元はトイレの有無以外基本的に同一で、最大長20,500mm、最大高4,053mm、最大幅3,190mm、自重33.9t(KTR800形は33.5t)である。前面形状は、先行のMF100形・MF200形とほぼ同一の意匠であるが、本形式では前面窓が車体側面に回り込んだパノラミック・ウィンドウとなっている。側面には、2連式の一段下降式窓が並び、片開き扉が両端にあることから、外観はかつての急行形車両のグリーン車を彷彿とさせる。座席は新幹線0系電車の普通車で使われた国鉄の「W-12」に、暖房用温風出口と足置きを追加したうえ、中間の肘掛けを除いた形状の2人掛け転換クロスシートが並び、定員はKTR700形が115人(うち座席52人)、KTR800形が114人(うち座席56人)である。車体色は水色(タンゴブルー)に千歳緑と鳶赤の帯が窓下に巻かれており、客用扉と前面貫通扉はステンレス無塗装でアクセントとしている。全車が新製時からワンマン運転対応設備を装備している。(北近畿タンゴ鉄道KTR700形気動車 フレッシュアイペディアより)