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    新幹線0系電車から見た警笛

    先頭車内部には警笛装置が在来車同様に備わっているが、それまでの国鉄車両とは異なり、高低2種類のホーン(形式はAW8とAW9)を組み合わせた。これは、やわらかく明るい音色を出すために和音で表現しようとしたもので、この警笛は後の新幹線車両にも引き継がれている。新幹線0系電車 フレッシュアイペディアより)

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    新幹線0系電車から見た終着駅

    最初期の車両は列車種別・列車名・号数・行き先が書かれた行先標が取り付けられていたが、高速走行中の脱落の可能性や列車本数の増加による煩雑さ、さらには盗難が相次いだこともあり、早期に使用を取りやめ、しばらくは車両側に行き先表示がされることはなかった。東京 - 新大阪間のみだった当時は運行系統自体は単純であり、終着駅の表示だけで事足りたが、岡山開業以降は複雑化したため、以後の新造車は現行の電動式方向幕が取り付けられた。電動幕に関しては、既存の車両に対し、当初は取付工事(改造)が行われた車両も存在したものの、新製車で旧来車を淘汰する方針となり、1976年(昭和51年)以降は取り付けられることはなかった。また指定・自由席表示も当初の札式から、省略の時期を経て、スリムライン、電動幕と変化している。新幹線0系電車 フレッシュアイペディアより)

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    新幹線0系電車から見た名古屋駅

    ほかの車両に比べて性能の劣る0系は、東海道新幹線での過密ダイヤの中では次第に足かせとなり、「ひかり」運用は急速に減少することとなる。1995年9月17日に0系「ひかり」は東京駅から撤退し、名古屋駅 - 博多駅間の「ひかり」1往復のみとなった。その唯一の「ひかり」運用も1998年10月3日以降は100系に差し替えられ、東海道区間での定期0系「ひかり」は消滅した。新幹線0系電車 フレッシュアイペディアより)

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    新幹線0系電車から見た台湾

    2001年(平成13年)にはイギリス・ヨークの国立鉄道博物館に先頭車1両(22-141)が西日本旅客鉄道(JR西日本)によって寄贈されている。これ以外には、建築限界測定車として改造を受けた先頭車両(21-5035)が中華民国(台湾)へ渡った。新幹線0系電車 フレッシュアイペディアより)

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    新幹線0系電車から見た運用 (鉄道)

    1999年(平成11年)9月18日の「こだま」473号(YK8編成)で東海道区間における最後の定期運用を終え、0系は東海道新幹線から完全に撤退した。ただし、新大阪と「鳥飼基地」間の回送列車のみ2008年(平成20年)まで走行していた。新幹線0系電車 フレッシュアイペディアより)

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    新幹線0系電車から見た気密性

    新幹線車両は当初の耐用年数を20年と想定していたが、連日の長距離高速(高負荷)運転による酷使の結果、車体と機器、両面の劣化が予想より早く進行したため(特に車内の気密性の低下が問題となった)、初期製造車は12年目の法定検査切れの車両より廃車が始まった。以上のような理由から、1976年(昭和51年)9月より1、2次車の淘汰が開始されたが、当時の国鉄の財務状況の悪化や、労働紛争の影響で、国鉄内部では車両を含めた技術革新が停滞していた。その一方、0系の基本性能は必要な水準を満たしており、かつ、それが安定していたことからも、当時の動労をはじめとする労働組合は新形車両の導入に否定的であった。さらには0系の増備を過剰に推し進めた結果、ひとつの編成中で車両の経年が不揃いとなっていったことも合わせ、既存の車両と混成・編成替えを行う都合などから、互換性を配慮する必要も生じた。新幹線0系電車 フレッシュアイペディアより)

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    新幹線0系電車から見た便器

    便所は2両に1箇所(奇数号車の東京寄り)に設置されており、原則として大便所2箇所と小便所1箇所、洗面所2箇所に冷水器という構成である。大便所は基本的に和式便器であったが、一等車(グリーン車)の15形と25形200番台(乗務員室付)の大便所1箇所は洋式便器とした。その後、洋式便器は食堂車に隣接する27形(食堂従業員用)や、35形に代わって製造されたビュフェ合造車で車椅子対応とした37形の車椅子対応便所にも設置された。冷水器の水は設備に付属の紙コップで飲めるようになっていたが、紙コップは円筒形ではなく封筒形で底が平らではなかったため、テーブル上に置く事ができず、繰り返しの使用にも適したものではなかった。新幹線0系電車 フレッシュアイペディアより)

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    新幹線0系電車から見たクリーム10号

    オリジナルの塗装は、車体がアイボリーホワイト、窓周りがブルーの塗り分けだった。この青色塗装は、新幹線ブルーともいわれる。配色は、航空機(旅客機)をライバルとして意識し、青空と白い雲のイメージから採用されたものである。配色の由来は太平洋の青、航空機や青空など諸説あるが、JR東海の運営するリニア・鉄道館が保管していた旧国鉄の内部資料「東海道新幹線電車技術発達史」に記載のあることが判明し、それによれば、1962年(昭和37年)、国鉄や車両メーカーの担当者、外部の画家やグラフィックデザイナーらが参加した会合で配色が決定した際、卓上にあった煙草のハイライトのパッケージが議論の中で重要な役割を果たした。星晃へのインタビューによれば、塗色はパンアメリカン航空の旅客機の塗装と煙草のハイライトのパッケージを意識したものである。当初は部外委託委員会の検討結果から「アクリル樹脂エナメル塗装自然乾燥」で行われたがその後変更された。なお21-2は保存の際にこれに近い材料を用いて復元されている。1988年(昭和63年)に登場した「ウエストひかり」用車両は100系と似た窓下に子持ちラインを追加した塗装パターンを採用した。当初地色は他の0系同様のアイボリーであったが、その後1995年(平成7年)に100系の地色と同じパールホワイトとなり、それ以外の車両も順次変更されている。新幹線0系電車 フレッシュアイペディアより)

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    新幹線0系電車から見た溶接

    実用速度 200 km/h を表す DT200形と名付けられた台車は、プレス鋼板溶接組立構造で、高速域での走行安定性を重視し、固定軸距は 2,500 mm、車輪径は 910 mm とされた。基礎ブレーキとして、高速域から安定して作動する空圧油圧変換式のてこ式押付装置による車輪ディスクブレーキを採用した。このブレーキディスクは各車輪の輪心部両側面に取付けられており、2つのブレーキてこに装備された制輪子が油圧ピストンにより作動し、2枚1組のブレーキディスクを外側から挟み込む形で締め付けることで所要の制動力を得る機構を備えており、締結されたディスクと車輪の間に空間を設けたベンチレーテッド構造を採用し、制動時の摩擦熱を十分に逃がすことができるようになっている。制輪子を保持するための、制輪子吊りが台車枠に備えられており、基礎ブレーキを作動させる際、供給空気溜めからの空気圧を油圧に変換して基礎ブレーキ装置に送り込む、増圧シリンダーを台車枠の内側に装備している。また、連続高速走行のため、軸受構造は日本鉄道車両史上初のつば付き円筒コロ軸受とし、軸受の潤滑は油浴(オイルバス)式としている。新幹線0系電車 フレッシュアイペディアより)

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    新幹線0系電車から見た戦後

    航空機(特に旅客機)に範をとった丸みのある先頭形状と、青・白塗り分けのスマートかつ愛嬌のある外観を備える。初期の新幹線のイメージを確立した車両であり、戦後日本の高度成長時代を象徴する存在として、人々から長く親しまれた。1980年(昭和55年)頃までの書籍などでは「旅客機を思わせる先頭部」、「まるで地面を走る航空機」と形容されることが多かったが、晩年は後に登場した新型新幹線車両と比べ「団子鼻」と称されるようになった。新幹線0系電車 フレッシュアイペディアより)

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