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新幹線0系電車から見た労働組合
新幹線車両は当初の耐用年数を20年と想定していたが、連日の長距離高速(高負荷)運転による酷使の結果、車体と機器、両面の劣化が予想より早く進行したため(特に車内の気密性の低下が問題となった)、初期製造車は12年目の法定検査切れの車両より廃車が始まった。以上のような理由から、1976年(昭和51年)9月より1、2次車の淘汰が開始されたが、当時の国鉄の財務状況の悪化や、労働紛争の影響で、国鉄内部では車両を含めた技術革新が停滞していた。その一方、0系の基本性能は必要な水準を満たしており、かつ、それが安定していたことからも、当時の動労をはじめとする労働組合は新形車両の導入に否定的であった。さらには0系の増備を過剰に推し進めた結果、ひとつの編成中で車両の経年が不揃いとなっていったことも合わせ、既存の車両と混成・編成替えを行う都合などから、互換性を配慮する必要も生じた。(新幹線0系電車 フレッシュアイペディアより)
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新幹線0系電車から見た鉄道博物館 (さいたま市)
廃車後長らく大阪府吹田市 JR西日本社員研修センターで研修用に使用されていたが、埼玉県にある鉄道博物館へ収蔵されることになり、博物館に隣接している大宮総合車両センターへ搬送された。搬送は2008年8月27日JR西日本社員研修センター内でクレーン吊上げ、トレーラー積込み、同月28日にセンターから搬出、神戸港から船積み、東京港大井埠頭に到着後、同月31日未明大宮総合車両センターに搬入された。再塗装や車両内部の全面復元がなされた後、2009年9月13日未明に鉄道博物館に搬送され、10月21日から鉄道博物館に新設した展示棟内に展示された。前頭部は、アクリル樹脂製のものが取り付けられている。これはかつて交通博物館に存在した0系先頭部のモックアップ(後に解体)に取り付けられていたもので、カバーのみが鉄道博物館に継承、同車の展示に伴い取り付けられたものである。なお、展示と同時に東海道新幹線の開業から約10年程度使用されていた発車標、時刻表、駅名標も併せて復刻されている(ただし時刻表と駅名標は当時と書体が違うなど、細部の相違点はある)。(新幹線0系電車 フレッシュアイペディアより)
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新幹線0系電車から見たバリアフリー
普通席とビュフェを併設する中間電動車。本格的な食堂車である36形の投入でビュフェに軽食堂としての機能が求められなくなり、車内販売基地としての機能が重視されるようになったことと、バリアフリーの観点から車いす対応席の設定が必要となったことにより、22次車より35形に代えて投入された。ビュフェはスペースが縮小され、また回転椅子が廃止されて立食のみとなった。22次車以降製造のため0番台が存在しない。また、途中から座席を1列分減らしビュフェ部分を拡大した1500番台が登場、30次車以降も同様の座席数の2500番台が増備された。このため2000番台も存在しない。(新幹線0系電車 フレッシュアイペディアより)