
藤原本雄から見た加賀国
文徳朝に入り、仁寿3年(853年)22年ぶりに昇進して従五位上・刑部大輔に叙任され、翌仁寿4年(854年)伊勢権介を兼ねる。天安2年(858年)2月に治部大輔に遷任し、同年8月に文徳天皇が崩御すると前次第司次官を務めている。清和朝では、貞観3年(861年)大蔵大輔に任ぜられたのち、貞観4年(862年)正五位下・加賀守、貞観10年(868年)従四位下・大和守に叙任されるなど地方官を歴任した。貞観18年(876年)3月28日卒去。最終官位は散位従四位上。(藤原本雄 フレッシュアイペディアより)