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広域関東圏から見た北信地方
「甲信越」と呼ばれる3県は、県境や交通網で繋がっている地域(新潟県上越地域と長野県北信地域・東信地域間、山梨県国中地域と長野県の中信地域・南信地域間)においては一定数の相互の人的・経済的交流があるものの、特に明治維新以後はそれぞれの県が別個に東京と直接繋がる形で発展した。都道府県間流動調査に見られるように、県外への流出1位が3県とも東京都となっており、「甲信越の中心都市は東京」とも言える。したがって、「甲信越地方」としてのブロック性は薄く、「関東甲信越(関東甲信越地方)」という表現は「関東と新潟県」「関東と山梨県」「関東と長野県」のそれぞれのつながりをまとめて表現しているともいえる。(広域関東圏 フレッシュアイペディアより)
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長野県方言から見た北信地方
信州の方言は東日本方言に属し、かつその西の境界にあり、西日本方言地域と境を接している。(ただし、畑美義氏、福沢武一氏など、南信方言を西日本方言に含める学者もいる。)また、十州に及ぶ周辺諸国から、街道、峠道により文物とともに各地の方言が運ばれ、在来の方言と混じり合い発達した方言である。西関東と境を接する佐久の方言が江戸っ子のことばに近いという感想もうなずける。北信地方は越後と境を接し、この地域を貫流する千曲川を越後文化は遡上してきた。長野市のことばに越後方言の匂いを嗅ぎとっても不思議ではないのである。西南部地方は西日本方言地域の岐阜県・愛知県と接し、古くからその地域と深い関わりを持っていた。こうした歴史的背景から、方言でもこれらの地方の影響を受けるのは当然といえば当然で、飯田や木曽谷南部へ行くと関西弁のにおいを感じとるのにも、それなりの理由がある。(長野県方言 フレッシュアイペディアより)
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湯の瀬ダムから見た北信地方
長野県は長野市中心市街地を流れる裾花川の治水を図るとともに、中部電力による電力供給エリア末端に位置している長野県北部(北信地方)への電力供給安定度を高めるため、裾花川上流に裾花ダムを建設し、併せて裾花発電所を設置した。裾花発電所は最大1万4,600キロワットの電力を発生することができる長野県営の水力発電所で、裾花ダム湖(裾花湖)を調整池として利用することで電力需要の高低に追従した発電運転を行っている。水力発電所の出力変動は河川流量の変動をもたらすことから、これを抑えるため下流に逆調整池を形成する小規模なダム、すなわち湯の瀬ダムを建設した。湯の瀬ダムは裾花ダムと同じく1969年(昭和44年)に完成。その後、1979年(昭和54年)には裾花ダムよりさらに上流、裾花川源流部に奥裾花ダムおよび奥裾花発電所が完成している。(湯の瀬ダム フレッシュアイペディアより)
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