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大学校 (1869年)から見た医学
慶応4年4月(1868年5月)、新政府の江戸入城・占領にともない、江戸幕府直轄の教学機関であった儒学中心の昌平坂学問所(昌平黌)、洋学中心の開成所、医学(西洋医学)中心の医学所は接収され、6月から9月にかけて3校を再開し、それぞれ昌平学校・開成学校・医学校と改称された。翌明治2年(1869年)6月、新政府は直轄の教育機関、および全国府藩県の学校行政を統括する官庁の設立をはかりその制度を定め、先述の3校を統合し7月8日(新暦8月15日)「大学校」として設立、長官(学長)に相当する「大学別当」には松平春嶽が任じられた。(大学校 (1869年) フレッシュアイペディアより)
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