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八甲田山死の彷徨から見た十和田湖
弘前歩兵第31聯隊は地元出身者を主体に編成され、徳島大尉は1年前に雪中行軍演習を行った経験を持っていた。綿密な下準備を行なった上で、大人数では危険な雪山で行動力が低下する恐れがあるため比較的小規模な小隊編成とし、また徴兵されて在営している兵卒は徳島大尉の従卒と八甲田山系出身者の計4名にとどめ、あとは雪山の経験があり身長制限を通過した将校・下士のみ(他に東奥日報記者が1名随行)で行軍隊を構成した。弘前市を出発し十和田湖畔を通り一旦三本木町(現十和田市)に出て、三本木町から八甲田山中を通って青森市に抜け、さらに青森市から梵珠山を走破し弘前に帰営する総距離240kmを11日で踏破する計画(ただし青森市から弘前市へのルートは第5聯隊の遭難発覚後に中止し、汽車で帰営)で、落伍者なく成功させた。ただし途中で下士官1名が転倒して足首を痛め、それまでにまとめられた報告書を託され、馬車と鉄道を乗り継いで弘前へ戻されている。(八甲田山死の彷徨 フレッシュアイペディアより)
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