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卓球から見た炭素繊維
ラケットは素材の85%以上は天然木と決められていて、15%以内なら木以外の材料を使用することが認められており、炭素繊維(カーボン・ファイバー)、アリレート(ベクトランファイバー)、ケブラー、ガラス繊維(グラスファイバー)、チタン、ザイロンなどの特殊素材を使用したラケットも使われている。上記の素材の他、カーボン・ファイバーとアリレートを合わせたアリレートカーボンや、ZLカーボンと称されるザイロンとカーボンを合わせたもの、ケブラーとカーボンが使われたケブラーカーボンや、テキサリウム、シルバーカーボン、バサルトファイバー、テキストリームなど多種多様の特殊素材がある。(卓球 フレッシュアイペディアより)
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卓球から見たアメリカ合衆国
その後ラケットは短くなり、1900年代頃に欧州でゴム製のラバー(現在の1枚ラバーに相当するラバー)が開発され主流となったが、それほど強い打球が打てなかったことやネットの高さが高かったこともあり、守りに徹した方が有利であった期間が長く続き、1936年に行われた第10回世界卓球選手権では1点取るのに2時間以上もかかった試合の記録が残っている。1937年、日本初の国際試合が行われ、ハンガリーの元世界チャンピオンと対戦し、その際日本選手は初めてラバーに接した。当時、日本選手のラケットには何も貼っていない状態(別称:木ベラ)でありながらも、好成績を収めた。その頃、男子アメリカチームによって、当時規定外であった指を使い、様々な回転を生み出すサービス「フィンガースピンサービス」が開発され、1937年に行われた第11回世界卓球選手権にて、初めて強い回転をかけたプレーが持ち込まれた。これを駆使したアメリカチームは好成績を収めたが、その反面強い回転に慣れていない対戦相手はレシーブミスを連発し、ラリーが続かない展開となった。ラリーが長すぎる、一方では短すぎる、と両極端な展開で観客が退屈と感じる試合が続出したことから国際卓球連盟はルールの改正を行い、ネットの高さを引き下げ、試合時間の制限、指を使いボールに様々な回転を与えるサービス(フィンガースピンサービス)の禁止を決定。その影響で再び守備型が有利な状況となり、1940年代から1950年代初頭までは欧州の選手によるカット主戦型が全盛であった。(卓球 フレッシュアイペディアより)