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  • 博多華丸・大吉

    博多華丸・大吉から見たカンニング (お笑いコンビ)

    2005年4月に、3年越しの念願であった東京本社へ移籍。東京進出のきっかけとしては、華丸曰く、先述の元女性職員のアドバイスに「背中を押していただいた」ことや、華丸の長女が小学校入学を控えており、就学中の転居を避けたかったことがあったという。また同期の竹山隆範がカンニングとして全国区でブレイクした時は、かつての同期である事やネタも標準語主体であったことから祝福できたが、後輩のヒロシが熊本弁を用いたネタで受けていたことは、博多弁漫才を売りにしていた彼らに大きなショックを与えたとも語っている。福岡で仕事がないため上京したはずのヒロシが凱旋した際、福岡時代には見たことも無いくらい受けていたことから「一回、東京のフィルターを通して東京で売れたという肩書きがあると、こんなに違うもんだと、実感した」と、東京進出を決意させた。当時福岡で一緒に番組に出ており、二人の芸や人柄に触れた氷川きよしも、「福岡にいてはもったいない」という表現で東京行きを勧めていた。博多華丸・大吉 フレッシュアイペディアより)

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    博多華丸・大吉から見たパンクブーブー

    2011年、コンクール形式としては第1回となる『THE MANZAI』に出場。本人達は「若手の大会だから」出ないつもりであったが、西川きよし、今いくよ・くるよらから説得され出場を決意した。予選を勝ち抜き認定漫才師50組に選抜され、本戦サーキットを13位で通過し決勝大会に進出する。「(大会最高顧問ビートたけしに)“あんちゃん達面白いね”と、その言葉だけ頂けるように頑張ります」と臨み、一回戦で「乾杯の挨拶」のネタを披露したが、福岡吉本の後輩であり自らも評価していたパンクブーブーに大差で敗れる。獲得したのは関根勤からの一票のみだったが、ビートたけしが「華丸・大吉にもっと(票が)入ってもよかったんじゃないか」とコメントし、「泣きそうです」と応えた。博多華丸・大吉 フレッシュアイペディアより)

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    博多華丸・大吉から見たナインティナイン

    デビュー翌年から地元テレビ番組『どっちもどっち博多っ子倶楽部』(TVQ九州放送)にレギュラー出演(但し大吉はフロアディレクター)、1993年4月には『とことんサンデー』(テレビ西日本)の司会となり、福岡県内ではトップクラスの人気を獲得する。世間では何となくこの時代の二人は九州・山口・沖縄圏内全域で人気があったと思われているのだが、宮崎の民放が2チャンネル、鹿児島の民放が3チャンネルしかない状況だったため、九州・山口・沖縄圏全域ローカル番組は難しい現状があり、実際のところ、福岡県内限定の放送しか出ていなかったため、福岡を出ると全く知名度はなかった。全国デビューする前の1995年にフジテレビ『めちゃ?モテたいッ!』(『めちゃ?イケてるッ!』の前身番組)で「福岡の人気芸人」として紹介され、福岡に来たナインティナインらとの共演も果たしている。また、この時にナインティナインは『とことんサンデー』にゲスト出演し、以降二組は親交を深める。当時の華丸・大吉は司会やリポーターなどの仕事が主で、テレビで漫才を披露する機会はほとんどなかった。博多華丸・大吉 フレッシュアイペディアより)

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    博多華丸・大吉から見た千原ジュニア

    大吉の休業が明けた1998年4月からは『とことんサンデー』と同じ時間帯に同じコンセプトの番組『Hi-Ho!』が開始。しかし、その間に福岡で『吉本超合金』のネット放送が開始され、さらに大阪の芸人が福岡の劇場に出演し始めたことで「大阪の笑い」が福岡に入るようになり、大吉曰く「化けの皮が剥がれる」形で人気が低迷していった。吉本超合金のメインであったFUJIWARAの藤本敏史、原西孝幸や 2丁拳銃の小堀裕之、川谷修士の4人やゲストで活躍していた礼二(中川家)、千原ジュニアらには福岡でも熱狂的なファンがつくようになり、推しメンに失礼になるからと劇場では彼ら以外のお笑いでは笑ってはいけないみたいな空気が支配していくのを感じたという。今まで、博多華丸・大吉のネタで笑ってくれていたお客さんが、全然、笑わなくなった、という。そういう現実をまざまざと見せつけられたためFUJIWARAや2丁拳銃には今でも、劣等感みたいなものがあるという。そんな福岡ではあんなに笑いをとるFUJIWARAが、めちゃ×2イケてるッ!ではスベリキャラの様な扱われ方をされている姿を見て、大吉は全国放送に畏怖を感じていたという。博多華丸・大吉 フレッシュアイペディアより)

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    博多華丸・大吉から見た岡村隆史

    2016年1月9、10両日には、福岡・キャナルシティ劇場にて「博多華丸・大吉結成25周年ライブ」を開催。岡村隆史(ナインティナイン)などコンビにゆかりのある多数の芸人がゲストで登場したほか、タモリ、明石家さんま、ビートたけしらがビデオメッセージで祝福、25周年に花を添えた。博多華丸・大吉 フレッシュアイペディアより)

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    博多華丸・大吉から見たカンニング竹山

    2005年4月に、3年越しの念願であった東京本社へ移籍。東京進出のきっかけとしては、華丸曰く、先述の元女性職員のアドバイスに「背中を押していただいた」ことや、華丸の長女が小学校入学を控えており、就学中の転居を避けたかったことがあったという。また同期の竹山隆範がカンニングとして全国区でブレイクした時は、かつての同期である事やネタも標準語主体であったことから祝福できたが、後輩のヒロシが熊本弁を用いたネタで受けていたことは、博多弁漫才を売りにしていた彼らに大きなショックを与えたとも語っている。福岡で仕事がないため上京したはずのヒロシが凱旋した際、福岡時代には見たことも無いくらい受けていたことから「一回、東京のフィルターを通して東京で売れたという肩書きがあると、こんなに違うもんだと、実感した」と、東京進出を決意させた。当時福岡で一緒に番組に出ており、二人の芸や人柄に触れた氷川きよしも、「福岡にいてはもったいない」という表現で東京行きを勧めていた。博多華丸・大吉 フレッシュアイペディアより)

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    博多華丸・大吉から見た日本テレビ放送網

    ヒルナンデス!(日本テレビ)月曜レギュラー博多華丸・大吉 フレッシュアイペディアより)

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    博多華丸・大吉から見たフジテレビジョン

    デビュー翌年から地元テレビ番組『どっちもどっち博多っ子倶楽部』(TVQ九州放送)にレギュラー出演(但し大吉はフロアディレクター)、1993年4月には『とことんサンデー』(テレビ西日本)の司会となり、福岡県内ではトップクラスの人気を獲得する。世間では何となくこの時代の二人は九州・山口・沖縄圏内全域で人気があったと思われているのだが、宮崎の民放が2チャンネル、鹿児島の民放が3チャンネルしかない状況だったため、九州・山口・沖縄圏全域ローカル番組は難しい現状があり、実際のところ、福岡県内限定の放送しか出ていなかったため、福岡を出ると全く知名度はなかった。全国デビューする前の1995年にフジテレビ『めちゃ?モテたいッ!』(『めちゃ?イケてるッ!』の前身番組)で「福岡の人気芸人」として紹介され、福岡に来たナインティナインらとの共演も果たしている。また、この時にナインティナインは『とことんサンデー』にゲスト出演し、以降二組は親交を深める。当時の華丸・大吉は司会やリポーターなどの仕事が主で、テレビで漫才を披露する機会はほとんどなかった。博多華丸・大吉 フレッシュアイペディアより)

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    博多華丸・大吉から見た東京メトロポリタンテレビジョン

    立川談志からは、東京MXテレビで談志が仕切っていたネタ見せ番組に出演した際、ガチガチに緊張しながらネタを披露した後、「まあ、内容として、こういう優しいネタを選んでて。俺はとっても文化的には好きだなあ。あとで、いいアドバイスしてやるよ」と声をかけられた。その後、収録後の打ち上げで別室に呼ばれ「いいか。よく聞け。これは過去、爆笑問題にしか言っていない。――絶対に、解散するなよ」とアドバイスされたという。博多華丸・大吉 フレッシュアイペディアより)

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    博多華丸・大吉から見た立川談志

    立川談志からは、東京MXテレビで談志が仕切っていたネタ見せ番組に出演した際、ガチガチに緊張しながらネタを披露した後、「まあ、内容として、こういう優しいネタを選んでて。俺はとっても文化的には好きだなあ。あとで、いいアドバイスしてやるよ」と声をかけられた。その後、収録後の打ち上げで別室に呼ばれ「いいか。よく聞け。これは過去、爆笑問題にしか言っていない。――絶対に、解散するなよ」とアドバイスされたという。博多華丸・大吉 フレッシュアイペディアより)

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