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    博多華丸・大吉から見た修二と彰

    コンビ仲は非常によく、2012年1月19日放送の『アメトーーク』の企画「愛方大好き芸人 第2弾」などで「コンビでカラオケに行く際は必ず二人で修二と彰の『青春アミーゴ』を歌う」といった仲良しエピソードが語られている。華丸が修二パートで、大吉が彰パートを歌うという。博多華丸・大吉 フレッシュアイペディアより)

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    博多華丸・大吉から見たNHK総合テレビジョン

    あさイチ(NHK総合)(2018年4月2日?)2代目キャスター博多華丸・大吉 フレッシュアイペディアより)

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    博多華丸・大吉から見たテレビ西日本

    その後、地元で開催されたオーディション番組『激辛!?お笑いめんたい子』(テレビ西日本、1990年4月29日放送)に「岡崎君と吉岡君」の名で漫才コンビとして出場。結果は番組出演8組中2位まで合格のところ4位だったため不合格だったが、それがきっかけとなり、人手が足りないという理由で吉本興業福岡事務所に入るよう声がかかる。当初は躊躇していたが、長渕剛の楽曲『西新宿の親父の唄』で連呼される「やるなら今しかねえ」という歌詞に背中を押され決断、同年5月に1期生となる。初代吉本福岡事務所長の「芸人は本名ではなく芸名で」という方針で、当初「華丸・大吉」としてデビュー、その後、「芸名(平仮名で)7文字が売れる」ので「さらにめでたい名前をつけよう」という意向で、「鶴屋華丸・亀屋大吉」(つるやはなまる・かめやだいきち)と改名する。博多華丸・大吉 フレッシュアイペディアより)

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    博多華丸・大吉から見たTVQ九州放送

    デビュー翌年から地元テレビ番組『どっちもどっち博多っ子倶楽部』(TVQ九州放送)にレギュラー出演(但し大吉はフロアディレクター)、1993年4月には『とことんサンデー』(テレビ西日本)の司会となり、福岡県内ではトップクラスの人気を獲得する。世間では何となくこの時代の二人は九州・山口・沖縄圏内全域で人気があったと思われているのだが、宮崎の民放が2チャンネル、鹿児島の民放が3チャンネルしかない状況だったため、九州・山口・沖縄圏全域ローカル番組は難しい現状があり、実際のところ、福岡県内限定の放送しか出ていなかったため、福岡を出ると全く知名度はなかった。全国デビューする前の1995年にフジテレビ『めちゃ?モテたいッ!』(『めちゃ?イケてるッ!』の前身番組)で「福岡の人気芸人」として紹介され、福岡に来たナインティナインらとの共演も果たしている。また、この時にナインティナインは『とことんサンデー』にゲスト出演し、以降二組は親交を深める。当時の華丸・大吉は司会やリポーターなどの仕事が主で、テレビで漫才を披露する機会はほとんどなかった。博多華丸・大吉 フレッシュアイペディアより)

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    博多華丸・大吉から見たBSフジ

    わがまま!気まま!旅気分(テレビ西日本・FNS九州ブロック・BSフジ博多華丸・大吉 フレッシュアイペディアより)

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    博多華丸・大吉から見た三拍子 (お笑いコンビ)

    2014年、再び『THE MANZAI』に出場。2013年の年末に二人がビートたけしと共演した際、たけしから「なんであんちゃん達(大会に)出ないの?」と問いかけられ、華丸が「ですよね」と答えてしまったため、出場せざるを得ないと判断した。大木こだまなどの先輩芸人も、二人の大会出場を後押ししたという。認定漫才師に選抜され、本戦サーキットを6位で通過し決勝大会に進出する。一回戦はワイルドカード枠で出場した三拍子の4票に対し6票を獲得して競り勝った。三拍子のネタがかなり受けていたため自身は敗戦を悟っており、勝利決定の瞬間には大吉が思わず「(2本目のネタ合わせをしていないため)まずい」と言ってしまったほどの意外な最終決戦進出であったという。最終決戦では得意ネタである「宴会の抜け出し方」を一回戦のネタも絡めて披露した。このネタを選んだのは客層を考えた上での大吉の独断であったが、アキナ、トレンディエンジェルを相手に10票中9票獲得する快勝で、優勝に輝いた。出場のきっかけを作ったたけしは「俺は(華丸・大吉の)ファンだから」と述べ、放送後の記者会見では若手芸人と華丸・大吉の違いを流行りの食堂と老舗の名店の味に例えて讃えた。番組の最後は、大吉が「この予選に出ていない方も僕らの先輩たちも、本当に面白い漫才師さんは劇場にいますので、是非皆さん劇場に足を運んでください」と締めくくった。博多華丸・大吉 フレッシュアイペディアより)

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    博多華丸・大吉から見た木村進

    2004年4月、屋号を博多に変更した現在の芸名へ改名する。改名のきっかけは、姓名判断に詳しい福岡事務所の女性パート職員が退職する際「『鶴屋』と『亀屋』は運気的に最低の名前」「『鶴屋』がほぼ0点に近い。『亀屋』は口に出せない(ほど最悪)」と判断され、「ずっと気になっていた。お願いだから改名して欲しい」と頼まれた事である。その女性職員から「いい名前がある」と勧められたのが、現在の「博多」の屋号である。またその女性職員から「屋号を博多に変えて2年以内に二人が東に向かうと運気が上がる」ともアドバイスされる。なお、改名に際し同じ「博多」の屋号であった木村進(三代目博多淡海)にも報告し、改名を快く認めてもらったという。博多華丸・大吉 フレッシュアイペディアより)

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    博多華丸・大吉から見た今いくよ・くるよ

    2011年、コンクール形式としては第1回となる『THE MANZAI』に出場。本人達は「若手の大会だから」出ないつもりであったが、西川きよし、今いくよ・くるよらから説得され出場を決意した。予選を勝ち抜き認定漫才師50組に選抜され、本戦サーキットを13位で通過し決勝大会に進出する。「(大会最高顧問ビートたけしに)“あんちゃん達面白いね”と、その言葉だけ頂けるように頑張ります」と臨み、一回戦で「乾杯の挨拶」のネタを披露したが、福岡吉本の後輩であり自らも評価していたパンクブーブーに大差で敗れる。獲得したのは関根勤からの一票のみだったが、ビートたけしが「華丸・大吉にもっと(票が)入ってもよかったんじゃないか」とコメントし、「泣きそうです」と応えた。博多華丸・大吉 フレッシュアイペディアより)

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    博多華丸・大吉から見たコンバット満

    福岡競艇(コンバット満、きどゆういちら福岡吉本の面々と一緒に出演)博多華丸・大吉 フレッシュアイペディアより)

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    博多華丸・大吉から見た藤本敏史

    大吉の休業が明けた1998年4月からは『とことんサンデー』と同じ時間帯に同じコンセプトの番組『Hi-Ho!』が開始。しかし、その間に福岡で『吉本超合金』のネット放送が開始され、さらに大阪の芸人が福岡の劇場に出演し始めたことで「大阪の笑い」が福岡に入るようになり、大吉曰く「化けの皮が剥がれる」形で人気が低迷していった。吉本超合金のメインであったFUJIWARAの藤本敏史、原西孝幸や 2丁拳銃の小堀裕之、川谷修士の4人やゲストで活躍していた礼二(中川家)、千原ジュニアらには福岡でも熱狂的なファンがつくようになり、推しメンに失礼になるからと劇場では彼ら以外のお笑いでは笑ってはいけないみたいな空気が支配していくのを感じたという。今まで、博多華丸・大吉のネタで笑ってくれていたお客さんが、全然、笑わなくなった、という。そういう現実をまざまざと見せつけられたためFUJIWARAや2丁拳銃には今でも、劣等感みたいなものがあるという。そんな福岡ではあんなに笑いをとるFUJIWARAが、めちゃ×2イケてるッ!ではスベリキャラの様な扱われ方をされている姿を見て、大吉は全国放送に畏怖を感じていたという。博多華丸・大吉 フレッシュアイペディアより)

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