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木元教子から見た原子力
近年は、エネルギー、特に原子力にウエイトを置き発言。一般国民とのパイプ役としての役割を意識し、原子力委員会に「市民参加懇談会」(2001年?)を立ち上げた。木元の原子力へのかかわりは、「小川宏ショー」特番で毎年「原爆の日」に広島、長崎から生レポートを担当したことや、その後のニュースキャスターで、被爆国なのに「なぜ原子力か」との疑問から始まっている。だがその前の1963年?1964年に当時のNET(現在のテレビ朝日)で、「マンガのおじさん」という生番組の司会を木元が担当、手塚治虫と週一回の共演をしていた。木元が、エネルギー、原子力に取り組む原点には手塚治虫と『鉄腕アトム』が存在し、原子力委員になった木元の「原子力の平和利用」の主張に、大きな影響を与えている。2002年6月5日朝日新聞の朝刊2面。当時の福田康夫官房長官、また安倍晋三代議士が早稲田大学で、核兵器の保有は日本国憲法に違反しないとか、非核三原則の見直し発言を行ったことにつき、6月4日の原子力委員会で、木元委員が「原子力の平和利用に限っている原子力基本法にもそぐわない」と発言、抗議表明を求めた。しかし委員長は継続して検討するに留まった。その後、6月18日の朝日新聞「私の視点」に、木元の「核論議『平和利用限定』を忘れるな」の原稿が載っており、平和利用の番人とされる原子力委員会でただ一人、その立場を明確にしていた。また、1978年、当時小学5年の次男が学校から社会科の参考として「こわい原子力発電」 というガリ版刷りの資料を持ち帰ってきた事に関心を抱き、自分の目で勉強し、確かめようと考え行動を起こしたと、原子力委員就任(1998年1月5日)の際に語った。またその時に、「見える」「逃げない」「行動する」原子力を委員のモットーとすると言明している。(木元教子 フレッシュアイペディアより)
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2009年のスウェーデンから見た原子力
2月5日 - スウェーデン政府、地球温暖化への対策の一環として、原子力発電所全廃政策を転換。全廃政策は、1980年の国民投票により決定したもの。近年、原子力がクリーン・エネルギーとして見直されており、原子力発電所容認に転じた 。(2009年のスウェーデン フレッシュアイペディアより)
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英国規格から見た原子力
1950年代後半から1960年代、市場に消費者製品があふれ、同時に粗悪な品質の製品も目立つようになる。こ れを受けて1953年にKitemarkが家具、圧力鍋、オートバイのヘルメットなど英国内のいくつかの製品に適用され、消費が 製品の品質を確かめる目印となった。製品に加え、大気汚染、原子力エネルギー、工業用、学校やオフィス家具用、動物の空輸用のセーフティーカラーなどついても規格が発行された。1951年、英国内の消費者関連の規格について助言をする女性諮問委員会が立ち上がる。これが今日の消費者政策委員会(COPOLCO)の先駆けで、消費者製品に関するBSIの専門委員会(technical committee)に消費者代表を送っている。(英国規格 フレッシュアイペディアより)