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サラメシから見た原田雅彦
2018年2月12日(月曜日・振替休日)8:15 - 8:58に放送。平昌オリンピックの応援企画として放送されたもので、平昌オリンピック日本代表チームからはヨハン・デ・ウィット(スピードスケート・コーチ)、鷲澤徹(スキージャンプ女子・チーフコーチ)、山中武司(アイスホッケー女子・監督)の3名、平昌パラリンピック日本代表チームからは中北浩仁(パラアイスホッケー男子・コーチ)、荒井秀樹(パラノルディックスキー・監督)の2名、合わせて5名の指導者のサラメシを紹介。このほか「メダルメシ」と題して、冬季オリンピック歴代メダリスト3名(荻原健司、清水宏保、原田雅彦)のサラメシを紹介した。(サラメシ フレッシュアイペディアより)
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小野学 (スキージャンプ)から見た原田雅彦
その後1984年から全日本スキー連盟ノルディックスキーナショナルチームジャンプコーチを兼任。1992年から2000年までナショナルチームヘッドコーチを務めリレハンメルオリンピック、長野オリンピックなどにおける日本の黄金期を築いた。1986年2月第41回国体成年3部優勝。翌年、2月の第42回国体成年C優勝。1988年2月カルガリーオリンピックのコーチとして就任した。1989年2月第44回国体成年C優勝、1991年第46回国体成年C優勝。翌年のアルベールオリンピックも4年前と同様、コーチとして就任。その年、3月には第47回国体成年C優勝果たしている。7月には実績が認められ全日本ナショナルチーム ヘッドコーチに就任した。1994年2月のリレハンメルオリンピックでもヘッドコーチに就任し日本チームを団体競技で銀メダルへと導いた。その時のメンバーは西方、岡部、葛西、原田であった。4年後の長野オリンピックではLHで船木が金メダル、原田が銅メダル、NHで船木が銀メダル団体競技においては見事に金メダルに導いた。その時のメンバーは岡部、斎藤、船木、原田であった。(小野学 (スキージャンプ) フレッシュアイペディアより)