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勲章から見た山本五十六
騎士鉄十字章には最初は「〜付き」というものはなく、単純に2級鉄十字章→1級鉄十字章→騎士鉄十字章→大鉄十字章という序列だったが、戦争の長期化に伴って、騎士鉄十字章には上位の柏葉付騎士鉄十字章 (Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes mit Eichenlaub)、柏葉・剣付騎士鉄十字章 (Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes mit Eichenlaub und Schwertern)、柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章 (Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes mit Eichenlaub, Schwertern und Brillanten)、金柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章 (Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes mit goldenem Eichenlaub, Schwertern und Brillanten) が制定された。金柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章の受章者は12人と定められていたが、授与されたのはハンス・ウルリッヒ・ルーデル一人であった。第二次世界大戦で大鉄十字章を授与されたのはヘルマン・ゲーリングのみである。山本五十六は、柏葉・剣付騎士鉄十字章を授与された唯一の外国人である(ただし、戦死後の追贈)。鉄十字章は戦時下にのみ授与される勲章であるため、戦後の授与者は存在しない。ただし、第二次世界大戦中に授与された者で戦後にドイツ連邦軍(戦後の西ドイツ軍)に入隊した者は引き続き着用することが認められた。この場合は勲章の中央に刻印されているハーケンクロイツが柏葉に置き換えられた「戦後型」と呼ばれる物が着用されることとされた。(勲章 フレッシュアイペディアより)
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勲章から見たカール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム
ドイツ金鷲勲章は星章付大十字勲章とダイヤモンド付大十字勲章の2種類があった。最高等級であるダイヤモンド付ドイツ金鷲大十字勲章はベニート・ムッソリーニ国家統領のみが受勲した。星章ドイツ金鷲勲章大十字勲章は国外ではブルガリア王ボリス3世、フランシスコ・フランコ総統、イオン・アントネスク首相、ホルティ・ミクローシュ執政、カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム大統領、リスト・リュティ大統領、大島浩特命全権大使、ガレアッツォ・チャーノ外務大臣、クレモナ市市長ロベルト・ファリナッチ、国内でハインリヒ・ヒムラー親衛隊全国指導者、ヴィルヘルム・フリック外務大臣、ヨアヒム・フォン・リッベントロップ外務大臣、コンスタンティン・フォン・ノイラート外務大臣の計13名が受勲した。(勲章 フレッシュアイペディアより)
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勲章から見たヴィットーリオ・エマヌエーレ2世
1362年、サヴォイア伯国の君主アメデーオ6世サヴォイアによって創設された修道騎士団を源流とする騎士団勲章。アメデーオ6世の末裔であるサヴォイア公ヴィットーリオ・アメデーオ2世がサルデーニャ王国を建国するとその最高勲章となった。次いでサルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世がイタリア王に即位するとイタリア王国における最高勲章ともなった。1946年の共和制移行によって国家勲章としての役割は失われ、サヴォイア家による私的な騎士勲章となった。(勲章 フレッシュアイペディアより)
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勲章から見たヴィットーリオ・エマヌエーレ3世
1901年5月9日、イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世が労働者や企業家の経済的功績を讃える為に創設した騎士団勲章。共和制下でも依然として授与が続けられており、労働大臣の選定によって受勲対象者が決められている。(勲章 フレッシュアイペディアより)