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吉田拓郎から見た富澤一誠
田家秀樹は、『それまでの関西フォークなどと違い、拓郎の曲は明るく、言葉にスピード感があって、それに誰でも歌えるという親しみやすさがあったと話している。拓郎は「関西フォーク」を嫌っており、「関西フォーク」と自身の音楽の違いを"私たち"の歌と"私"の歌と話している。富澤一誠は、1970年以前の岡林信康らのフォークが「今俺が歌わなければならない」的使命感があったのに対し、拓郎は「俺は歌いたいから歌うんだ」という、もっと自由な発想な、個人の自己主張が大きな特徴で、それは"私たちの歌"から"私の歌"へ、つまり、"三人称"から"一人称"への移行だった』と述べている。(吉田拓郎 フレッシュアイペディアより)
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