-
名古屋大学から見た名古屋大学太陽地球環境研究所
2015年10月 太陽地球環境研究所、地球水循環研究センター、年代測定総合研究センターを統合、改組し宇宙地球環境研究所が発足。(名古屋大学 フレッシュアイペディアより)
-
名古屋大学から見た第八高等学校 (旧制)
第二次世界大戦後、まず帝国大学令等の旧制度廃止直前の1948年に「(旧制)名古屋(帝国)大学」の下法経・文の2学部が設置されたことで、文科系理科系の両系統学部群が揃うこととなった。その上で、教育制度改革に伴う高等教育機関の一本化という行政施策に伴って、愛知県各地域に散在していた旧制官立学校が新制名古屋大学へ包括されて合流する。名古屋高等商業学校は法経学部経済経営両学科、第八高等学校の一部は文学部、第八高等学校の一部および岡崎高等師範学校は旧教養部、それぞれ設立母体となった。(名古屋大学 フレッシュアイペディアより)
-
名古屋大学から見た専門学校令
尾張藩種痘所取締であった伊藤圭介・石井隆庵ら3名が、版籍奉還後の名古屋藩庁に提出した建議書を基に廃藩置県直後の1871年8月9日、「仮病院・仮医学校」が開設された。以後仮病院・仮医学校は名古屋県の行政運営上の事情や財政難から廃復興の繰り返しの後、公立病院・医学講習所という形で存続。その後1903年の専門学校令に基づき愛知県立医学専門学校となり、1920年には大学令に基づき大学に昇格し、県立愛知医科大学と改称する。1931年には国へ移管され官立名古屋医科大学となった。この官立大学誕生を契機として、同医科大の前身学校時代からすでに同学校内および愛知県政財界を中心に展開されていた帝大誘致・設立運動が結実、1939年に官立名古屋医科大学を吸収させる形で名古屋帝国大学が創設される。同時に官立名古屋医科大学は名古屋帝国大学医学部へ改組された。ただし名古屋帝国大学の創設資金900万円(当時)は、地元愛知県が国庫へ全額寄付するという形での設立となった。なお、名古屋帝国大学は、創設時には文科系学部は存在せず、理工学部と医学部のみの学部編成であった。(名古屋大学 フレッシュアイペディアより)
-
名古屋大学から見た若宮大通
東山キャンパスは東西に長い長方形のような形をしており、キャンパスのほぼ中央を南北に貫く公道(山手グリーンロード)によって西地区と東地区に分けられる。そのためかこのキャンパスには正門が存在しない。東地区は丘陵となっており、山手グリーンロードと最高点で約30mの高低差がある。キャンパスの中心にはグリーンベルト(緑地帯)が東西に走っており、西地区のグリーンベルトには中央図書館、東地区のグリーンベルトには豊田講堂がある。西地区の南側が文系地区となっており、西地区の北側は工学研究科を中心とした理系地区および教育学部附属中学校・高等学校となっている。東地区は理系地区および野球場、サッカー兼陸上競技場、テニスコートなどのスポーツ施設などとなっている。また、大学を東西に貫くグリーンベルトは若宮大通(100メートル道路)の延長線上にある。名古屋市の都市計画では、若宮大通の東端を名古屋大学東山キャンパスへ接続するという想定が存在していたことが影響していたのではないという説がある。(名古屋大学 フレッシュアイペディアより)