-
-
小嶋光信から見た和歌山電鐵
2006年、南海電気鉄道が運営を断念した貴志川線の経営を引き継ぐため和歌山電鐵を設立し社長に就任。各社員が一人三役をこなす徹底した合理化に加え、両備グループデザイン顧問の水戸岡鋭治のデザインによるユニークな改装電車(和歌山電鐵2270系電車参照)や、貴志駅の猫の駅長たまなどのアイデアで再建を進めている。和歌山電鐵の出発式当日には、伊太祈曽駅で小嶋の姿を見つけた老婦人達から手を合わせて感謝されたという逸話も残っている。同年12月には経営が行き詰まった広島県福山市の中国バスを再建するために受け皿会社を設立し社長に就任するなど、公共交通の再建に積極的に乗り出している。2007年、両備ホールディングス社長に就任。2011年、両備ホールディングスと岡山県内のグループ会社の社長の座を松田久へ譲り、両備ホールディングス会長兼代表経営責任者となる(岡山県外のグループ会社の社長は引き続き小嶋が兼務)。(小嶋光信 フレッシュアイペディアより)
-
-
京浜電気鉄道29号形電車から見た和歌山電鐵
3141・3142は東横車輛で再電装の上1948年(昭和23年)に和歌山鉄道(現・和歌山電鐵)に譲渡、モハ501形となった。5222はクハ3660形クハ3662に車籍を譲り廃車。このクハ3662は1975年(昭和50年)まで東急で走った後、作家の斎藤茂太が引き取って東京都府中市の斎藤病院で使われた。(京浜電気鉄道29号形電車 フレッシュアイペディアより)
スポンサーサイト