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  • 東尾修

    東尾修から見た和田一浩和田一浩

    、読売ジャイアンツにFA移籍した清原和博の後釜としてドミンゴ・マルティネスを、ドラフトで和田一浩、玉野宏昌などを獲得。この年、4番に座った鈴木健が奮起。このほか松井稼頭央をはじめとする新鋭、また黄金期を支えた新谷博、潮崎哲也、杉山賢人、佐々木誠らベテラン、中日から移籍した金村義明などの活躍で3年ぶりにリーグ制覇を成し遂げた。しかし、日本シリーズではヤクルトスワローズに1勝4敗で敗れる。7月10日の近鉄戦で9回表西武は無死一、二塁の場面で奈良原浩が牽制でタッチアウトになり、そのジャッジに怒った奈良原は丹波幸一塁審に対して胸を突いたため退場。試合終了後奈良原の件で東尾が抗議、丹波が抗議を受けなかった事に激怒し、胸を突き退場を宣告され、蹴るなどの暴力行為を行い、パ・リーグ関係者が仲裁に入る騒動になった。翌日3試合出場停止、罰金10万円の処分を受けた。丹波は左下腿挫傷と診断された。監督代行はヘッドコーチの須藤豊が務めた。翌は日本ハムからトレードで西崎幸広を、またオリックスからFAで中嶋聡を獲得するなど戦力を補強、森慎二、デニー友利、竹下潤、橋本武広などの活躍でリーグ2連覇を果たすが、日本シリーズでは下馬評は西武有利と予想されたが横浜に2勝4敗で敗れ、2年連続で日本一を逃した。東尾修 フレッシュアイペディアより)

  • 細川亨

    細川亨から見た和田一浩和田一浩

    10月31日には、同年のNPBドラフト会議自由獲得枠での指名を前提に、西武ライオンズへの入団が決定。同日付で、NPBから契約締結内定選手として公示された。長年の正捕手だった伊東勤がコーチを兼務することや、捕手登録の和田一浩が外野手に専念することを踏まえた獲得で、背番号は47。細川亨 フレッシュアイペディアより)

  • 柳瀬明宏

    柳瀬明宏から見た和田一浩和田一浩

    プロ1年目は怪我の影響から、6月28日のウエスタン・リーグ対広島東洋カープ戦(雁の巣球場)で9回2点ビハインドの場面で初登板、一死一二塁から4番吉田圭にセンターオーバーの二塁打により2点を奪われ1回2失点だったが実戦復帰を果たした。7月下旬に二軍を視察した一軍投手コーチの杉本正がプレーオフでの右打者封じの切り札として、二軍投手コーチの高山郁夫に昇格への仕上げを要請、8月23日時点で二軍で12試合に登板し、防御率は4.91で11回を投げ14奪三振、奪三振率11.45だったが、8月25日にプロ入り初めての一軍練習へ参加、8月26日に出場選手登録された。8月27日の対埼玉西武ライオンズ戦、7回無死二塁から4番手として中継ぎでプロ初登板し、4番のアレックス・カブレラを140km/hの直球でファーストフライに打ち取ると、続く和田一浩、ジェフリー・リーファーは連続三振、8回は与四球2ながら無失点に抑えた。この時点では二軍でも2イニング目は経験していなかった。9月5日の対北海道日本ハムファイターズ戦では7回2点ビハインドから登板し、打者3人を無失点に抑え、以降の試合は僅差での登板となった。9月12日対オリックス・バファローズ戦で6回1点リード二死二三塁から初のホールド機会で登板し、下山真二に四球を与えたが的山哲也を抑え、続く7回は谷佳知に四球を与えて降板したものの、代わった三瀬幸司が後続の3人を抑えたことでプロ入り初ホールドを記録した。9月23日対オリックス戦で8回同点から登板し、四球で二死一塁とした所で降板後、代わった吉田修司が後藤光尊に二塁打を打たれて初の失点が記録された。なおこの試合までプロ入り後は8試合連続無失点だった。レギュラーシーズンは10試合13回1/3を投げ自責1で終えた。プレーオフ第1ステージでは10月8日第2戦に和田毅の後を受け、5回2点リード一死二三塁から登板、中島裕之にライトへの犠牲フライを許したが、続くカブレラは三振、6回表に松中信彦のタイムリーヒットで1点援護を貰うと、6回7回を6者連続の凡退に抑え、レギュラーシーズンより先にプレーオフでのプロ入り初勝利を手にした。これが2004年以降のパ・リーグプレーオフにおける初の新人勝利投手となった。また、公式戦未勝利の投手がポストシーズンゲームで勝利を挙げるのは史上初である。続く10月9日第3戦では寺原隼人の後を受け、6回1点ビハインドから登板し、与四球2ながら2イニングを無失点に抑え、登板中の5点の援護により連日の勝利投手となった。第2ステージは10月11日第1戦に7回1点ビハインド二死一二塁から登板、8回に一死一三塁として降板したが、藤岡好明が金子誠に安打を打たれ0回2/3を投げ1失点だった。柳瀬明宏 フレッシュアイペディアより)

  • 伊東勤

    伊東勤から見た和田一浩和田一浩

    伊東は20年近くに渡り西武の正捕手の座に君臨し、他球団で正捕手を務めた大宮龍男、中尾孝義、植田幸弘、中嶋聡らやアマチュア野球で活躍した仲田秀司、垣内哲也、高木大成、和田一浩、貝塚政秀らに競り勝った。伊東勤 フレッシュアイペディアより)

  • 谷繁元信

    谷繁元信から見た和田一浩和田一浩

    6月4日対西武戦の5回の守備の際、高山久とのクロスプレーで左ひざ内側側副靭帯を損傷し、約2カ月間一軍登録を抹消される。谷繁不在の間、チームは15勝21敗1分けと大きく負け越したが、谷繁はその間リハビリと上半身のトレーニングに懸命に取り組み、7月29日に一軍復帰した後は打率.301、打点23と打撃面でも活躍した。不振の和田一浩に代わって、シーズン後半からは5番打者を任され、9月末には球団記録にあと1つに迫る10試合連続打点を記録するなど、ペナントレース終盤の逆転優勝劇に大きく貢献した。しかし、ポストシーズンでは一転して打撃不振に陥り、CSでは全試合にスタメン出場するも無安打に終わる。ソフトバンクとの日本シリーズでも全試合にスタメン出場したが無安打は続き、11月20日の第7戦5回の第2打席で三振を喫し、1989年の大石大二郎(近鉄)の21打数連続無安打のシリーズワースト記録を更新する、22打数連続無安打を記録。無安打記録は最終的には23打数まで伸ばし、CSファイナルステージ第1戦の第1打席からは43打席連続無安打を喫したことになった。この年は2年ぶりとなるゴールデングラブ賞と、5年ぶりとなる最優秀バッテリー賞を吉見一起と共に受賞した。なお、8月25日のヤクルト戦(明治神宮野球場)で、プロ23年目、通算2594試合目にしてプロ入り初めて一塁手としてスタメン出場した。一塁手に限らず公式戦で捕手以外の守備に就いたのも初めてである。谷繁元信 フレッシュアイペディアより)

  • 中日ドラゴンズ

    中日ドラゴンズから見た和田一浩和田一浩

    移籍した福留の穴埋めとして埼玉西武ライオンズからFA宣言した和田一浩を獲得し落合は「レギュラーの野手は決まっている」と宣言した。前述の和田、荒木、井端、李炳圭、ウッズ、中村紀洋、森野、谷繁と落合就任当初は1軍と2軍の枠を撤廃してまでチーム内の競争を煽った事を考えれば大きく方針を転換したが、5月14日の東京ヤクルト戦で森野が左脹脛肉離れを起こしたのがきっかけでレギュラーが次々と離脱した。6月は李炳圭と井端が、8月の北京オリンピックでは怪我がちの森野と荒木が揃って離脱。平田良介以外にそれを補うべき若手も現れず、結局535得点はセリーグワースト、4番ウッズが77打点にとどまったのと得点圏打率が2割2分7厘に表れている様にチームの得点圏打率がチーム打率と共に2割5分3厘とセリーグどころか12球団のワーストと111のダブルプレーを喫したのもセリーグワーストと攻撃面ではワースト記録のオンパレード。また投手面もチーム史上初の規定投球回到達者なし。最も多く投げたのは山本昌の133回と3分の2で前年3人で38勝挙げた中田(14勝)、朝倉、エースの川上(いずれも12勝)が中田は怪我と不振、朝倉は7月に右腕の血行障害を発症、川上に至っては台湾代表のチェン・ウェインと日本代表で4位の大戦犯だった岩瀬と共に北京オリンピックで離脱。オリンピック後も調整に時間がかかった事も重なって3人揃って19勝どまり。日本シリーズで8回パーフェクトの快投を見せた山井も怪我で2試合の登板に終わった。吉見一起やチェンが先発・中継ぎフル回転し後半戦は2年目の清水昭信が完投する等若手でカバーしたが、先発ローテーションが1年間固まらなかった。また先発ローテーションだけでなく中継ぎの勝ちパターンも1年間固まらず、FAで和田を獲得した代償として岡本が埼玉西武に移籍し、当初の構想から修正を余儀なくされ新セットアッパーを予定していた鈴木義広が開幕から8試合投げただけで右肘を疲労骨折してシーズン絶望となったのを皮切りに石井裕也が横浜へ移籍し、ベテランの平井が37試合で5.14の防御率と不振に陥った。44試合に登板した2年目の浅尾拓也と54試合登板の高橋聡文でカバーしたが投手陣で固まったのがクローザーの岩瀬だけだった。事実5人以上投手を起用した試合は昨年は30勝16敗1分けだったのが16勝22敗5分けと投手陣を多く起用すればする程苦しい展開だった事が祟って3位となり、クライマックスシリーズの出場権を得るのが関の山だった。クライマックスシリーズ第1ステージは阪神との接戦を2勝1敗で制したものの、第2ステージでは拙攻と投手陣の不調(特に救援陣)もあり、巨人に1勝3敗1引分けで敗退、3年連続日本シリーズ進出はならなかった。オフには、FAで川上憲伸が大リーグ・アトランタ・ブレーブスに、中村紀洋が東北楽天に移籍。中日ドラゴンズ フレッシュアイペディアより)

  • ホームランなみち

    ホームランなみちから見た和田一浩和田一浩

    2016年4月、TBSラジオ「伊集院光とらじおと」にレポーターとしてレギュラー出演。(ホームランなみちの初出演は2016年4月28日)。伊集院光が何気なく視聴したパチンコ・パチスロ情報番組「パチFUN!」に出演していたホームランなみちを見て、オーディションを受けるよう声を掛けたことがきっかけだった。またこの時放送された和田一浩のものまねも「似ている」と称賛を受けた。ホームランなみち フレッシュアイペディアより)

  • 山口俊

    山口俊から見た和田一浩和田一浩

    その一方で、死球によって相手打者の負傷が相次いだことにより、「壊し屋」と呼ぶメディアも存在する。2012年7月8日の中日戦(名古屋)では中日の4番・トニ・ブランコの左手に死球。ブランコは左手甲を骨折し、長期離脱となった。抑えで登板した同年8月2日の広島戦(横浜)では、9回表1死一、二塁、DeNAが5 - 1でリードした場面で代打・會澤翼の右目下部に死球をぶつけ危険球退場。會澤は鼻骨を骨折し、顔面から大量出血し、救急車がグラウンド内に乗り入れる騒ぎとなった。試合は菊地和正が1失点に抑えてDeNAが5 - 2で勝利したものの、DeNAは広島に配慮してハイタッチ及びヒーローインタビューを自粛した。先発で登板した2014年7月21日の対中日戦(横浜)では、先頭打者から4球で3連打を浴びて先制を許すと、4番・和田一浩の左頭部に死球。「試合開始から5球目での危険球退場処分」という当時NPB一軍公式戦史上最短記録を残した(後に畠世周が4球で退場)。NPBの一軍公式戦で1死も取れずに危険球で退場した先発投手は、史上3人目であった。2015年4月4日の対東京ヤクルトスワローズ戦では、田中浩康の頭部に死球をぶつけ危険球退場。危険球退場の回数が、NPB最多タイ記録の3回に達した。山口俊 フレッシュアイペディアより)

  • 警告試合

    警告試合から見た和田一浩和田一浩

    5月13日・14日の同カードの試合では、2戦合わせて6個の死球を出した。特に2戦目では最後に西武・和田一浩への死球で巨人のタフィ・ローズと西武のホセ・フェルナンデスが睨み合うなど、険悪なムードを残して試合を終えたため、審判団が15日の試合を「パ・リーグ アグリーメント」に基づいて警告試合とした。警告試合 フレッシュアイペディアより)

  • 小林高也

    小林高也から見た和田一浩和田一浩

    目標とする選手に、日本では和田一浩や村田修一、メジャーではサミー・ソーサやアレックス・ロドリゲスを挙げている。小林高也 フレッシュアイペディアより)

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