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捕手から見た和田一浩
打撃の良い(または守備力の低い)捕手はしばしばその能力を生かすために内野手・外野手を兼任したり、捕手以外のポジションにコンバートされる。捕球技術に長けた者や足が遅い者は一塁手や三塁手を、足が速い者や遠投能力に長けた者は外野手をプレーする例が少なくない。田淵幸一、吉永幸一郎、小笠原道大、和田一浩、山崎武司、江藤智、北川博敏などは打撃力を買われ、プロ入り後に内野手・外野手に転向した。また、チームに守備に秀でた控え捕手が居る場合や、投手交代の際バッテリーごと交代する場合、故障明けの出場など、一塁手など他の守備位置を兼任する捕手もいる。城島健司、阿部慎之助、高橋信二、岡島豪郎などがその例である。(捕手 フレッシュアイペディアより)
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帆足和幸から見た和田一浩
5月20日に一軍へ昇格し、先発・中継ぎに両方で起用された。先発での3連続ノックアウトを経て迎えた6月25日の対千葉ロッテマリーンズ戦で先発し、3回まで無失点と好投。4回に無死満塁から大塚明に犠牲フライで先制されるが、すかさず和田一浩のツーランホームランで逆転、5回にも6点の援護を得て6回1失点で降板。3年目にしてプロ入り初の先発勝利を手にした。またこれが本拠地西武ドームでの初勝利となった。8月3日の対北海道日本ハムファイターズ戦で先発潮崎哲也に対して左を5人並べたトレイ・ヒルマン監督に対し、伊原春樹監督は2回無失点の潮崎に代えて左の帆足を投入。3回以降自己最長の救援7イニングを投げ、失点は小笠原道大のソロ本塁打のみに抑えてシーズン3勝目を挙げた。8月12日の対近鉄戦でノックアウトされたのを最後に8月17日からシーズン終了まで中継ぎとなった。9月1日対近鉄戦で延長10回1点リードから登板し、阿部真宏に内野安打を許したものの無失点に抑えてプロ入り初セーブを記録した。最終的に先発9試合で2勝4敗、防御率6.00、WHIP1.73、中継ぎでは3点差以内の登板が多く、2勝1セーブ3ホールドを稼いだが救援失敗も多く3敗し、防御率3.38、WHIP1.42だった。(帆足和幸 フレッシュアイペディアより)
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プロ野球ドラフト会議から見た和田一浩
1996年はアトランタオリンピックが行われた年で、井口忠仁、今岡誠、谷佳知、松中信彦ら銀メダルに貢献したメンバーが上位で指名された。他にも小笠原道大、和田一浩、岩村明憲、森野将彦、小坂誠、柴原洋、礒部公一など後にチームの主力打者に成長するメンバーが指名され、特に打者の人材は当たり年のドラフト会議であった。(プロ野球ドラフト会議 フレッシュアイペディアより)
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江藤智 (野球)から見た和田一浩
、西武では年齢、キャリア年数ともチーム最高となり、豊富な経験に人柄も手伝って若い選手の多いチームで貴重な存在感を示した。36歳の誕生日となる4月15日の千葉ロッテマリーンズ戦では内竜也から2年越しとなる通算350号本塁打も放った。また7月19日のソフトバンク戦では、主力であるアレックス・カブレラや和田一浩といった主力打者が抜けたため4番に座り(巨人時代は一度も4番を打たなかった)、6回表に佐藤誠からレフトへの二塁打を放ち、通算1500本安打を達成した。移籍後は主に代打(対左投手)としての起用が多く、時には指名打者や一塁手、三塁手として先発出場した。(江藤智 (野球) フレッシュアイペディアより)