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和田一浩から見た福岡ソフトバンクホークス
に、独特な打撃フォームの腰への負担を考慮した監督の落合博満からのアドバイスにより、春季キャンプでオープンスタンスからスクエアスタンスへの打撃フォーム改造を敢行する。しかし、打撃フォームの改造に加え、統一球の影響や視力低下もあって調子を落とし、年間を通じて成績は打率.232、12本塁打、54打点と低迷した。特に打率は西武在籍時にレギュラーに定着して以来、最低であった。また、シーズン終盤には前述の視力低下などの理由から中日入りして初めて二軍落ちを経験した(西武時代においても2003年以降、故障以外での二軍落ちは経験がなかった)。福岡ソフトバンクホークスとの2011年の日本シリーズでは3勝4敗で敗れ、第7戦攝津正から三振を喫し最後の打者になっている。同しシリーズでは優秀選手賞に選ばれた。(和田一浩 フレッシュアイペディアより)
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和田一浩から見た北海道日本ハムファイターズ
から4年連続で外野手部門でベストナインを受賞。その間は、5月30日の日本ハム戦(函館市千代台公園野球場)で芝草宇宙から本塁打を放ち、通算100本塁打を達成。同年からパ・リーグで開催されたプレーオフでは、日本ハムとの第1ステージ第3戦で横山道哉からサヨナラ本塁打を放った。さらに中日ドラゴンズとの日本シリーズでは、打率.310、4本塁打、6打点で12年ぶりの日本一に貢献し、優秀選手に選ばれ、2年前の汚名を返上する形となった。彩の国功労賞を受賞。(和田一浩 フレッシュアイペディアより)
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和田一浩から見た大阪近鉄バファローズ
ただ、は監督の東尾修に「次世代を担うバッテリー」として松坂大輔と開幕戦でスタメン起用され、その後も松坂と7回にわたってバッテリーを組んだ。打撃も好調で一気に16本塁打、規定打席未満ながら打率.306を記録した。守備位置はまだ捕手と外野手で一定せず、打順も2番と4番以外全てに起用された。9月24日の近鉄最終戦で松坂大輔がタフィ・ローズに55号本塁打を打たれ、中村紀洋に逆転サヨナラ2点本塁打を打たれた試合で捕手としてフル出場していた。(和田一浩 フレッシュアイペディアより)