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和田毅から見た富樫和大
1991年(平成3年)、島根県出雲市へ転居。高校は父の実家に近い浜田高校に進学する。なお父は日本体育大学時代、首都大学野球連盟リーグで首位打者1回・ベストナインに2度選出されている。実弟も立教大学で活躍後、2016年には浜田高校硬式野球部監督に就任している。浜田高校では度の第79回全国高等学校野球選手権大会に2年生エースとして出場。初戦でエース・石川雅規を擁する秋田商業高校と対戦。3対1と2点リードで迎えた9回裏、連打を許し無死1、2塁から、3塁線への送りバントを和田が1塁へ悪送球、カバーに入った右翼手も悪送球する間にランナー2人が生還、同点に追い付かれると同時にバントしたバッターも3塁に達し、続く2人を敬遠し満塁策をとるも、続く打者石川にストレートの四球を与えてしまいサヨナラ押し出しで敗れる。翌(平成10年)度の第80回全国高等学校野球選手権大会ではベスト8に進出。初戦は富樫和大-加藤健のバッテリーを擁する新発田農業高校に勝利。続く3回戦で森本稀哲を擁する東東京代表帝京高校と対戦、森本に本塁打を打たれるが、試合は3-2で勝利。次の準々決勝では古木克明を擁する豊田大谷高校と対戦、延長10回3-4で敗れた。前年の秋に上腕三頭筋を断裂していたこともあり、直球はこの当時120km/h程度であったが、帝京高校の選手は「150km/hに見えた」と証言している。(和田毅 フレッシュアイペディアより)
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和田毅から見た柚木進
''4月8日の千葉ロッテマリーンズ戦で自己最多である15奪三振(9回1失点完投勝利)を記録。6月12日の読売ジャイアンツ戦で交流戦最多の通算18勝目を挙げる。6月26日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で3年ぶりの10勝を挙げ、オールスターには監督推薦で選出されて6年ぶり3度目の出場となった。9月8日の楽天戦で自己最多更新の15勝目を挙げた。ロッテ戦では24イニング無失点を記録。9月23日のロッテ戦で17勝目を挙げ、新人王以来となるタイトル、自身初の最多勝を獲得しチームの7年ぶりの優勝に大きく貢献。初のMVP・ベストナインにも選出された。この年はチームメイトの杉内俊哉も16勝を挙げ、の中日の今中慎二、山本昌(共に17勝)以来17年ぶり、パ・リーグではの大毎オリオンズの小野正一(22勝)、荒巻淳(17勝)以来51年ぶり、球団としては南海時代のの中谷信夫(21勝)、柚木進(19勝)して以来62年ぶりとなる同一チームの左腕2投手での15勝以上を記録。リーグ優勝を決めた最終戦では監督の秋山幸二、主将の小久保裕紀、選手会長の川?宗則、そして杉内に続いて胴上げをされた。(和田毅 フレッシュアイペディアより)
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