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宮崎敏郎から見た唐川侑己
''には、一軍公式戦の開幕から5番打者として打率3割を記録していたが、4月中旬に脇腹を痛めて一時戦線を離脱した。5月3日の対巨人戦(東京ドーム)から一軍に復帰すると、6月11日の対埼玉西武ライオンズ戦(メットライフドーム)で規定打席に到達するとともに、打率(.327)でセ・リーグの2位に急浮上。6月15日の対千葉ロッテマリーンズ戦で唐川侑己から一軍公式戦初の満塁本塁打、7月5日の対阪神戦で一軍公式戦初の1試合5安打を記録するなどの活躍を背景に、オールスターゲームにもセ・リーグの監督推薦選手として初出場を果たした。8月22日の対広島戦(いずれも横浜)では、3点ビハインドで迎えた9回裏無死1塁から3番打者の筒香による2点本塁打、4番打者のホセ・ロペスによる同点ソロ本塁打に続いてソロ本塁打を記録。2年連続の一軍公式戦レギュラーシーズン2桁本塁打を達成するとともに、チームをサヨナラ勝利、8回表からの登板で2イニングを無失点に抑えていた新人投手・尾仲祐哉を一軍公式戦初勝利へ導いた。DeNAで3人以上の打者が一軍公式戦で連続本塁打を放った事例は(前身球団を含めて)12年振り10度目だが、NPBのチームが3者連続本塁打によって逆転サヨナラ勝利を収めた事例は、パシフィック・リーグを含めても一軍公式戦史上初めてである。なお、横浜スタジアムでは、9月6日の対ヤクルト戦でも延長11回裏に先頭打者として松岡健一からサヨナラ本塁打を放っている。さらに、シーズンの中盤から打率でセ・リーグの首位に立つと、最終打率.323で首位打者のタイトルを初めて獲得した。チームの2年連続レギュラーシーズン3位で臨んだCSでは、阪神とのファーストステージ突破を経て、広島とのファイナルステージ全5試合で打率.368、2本塁打をマーク。チームを19年振りの日本シリーズ進出へ導いた。福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでも、全6試合で打率.400、2本塁打と好調を維持したが、チームは2勝3敗で迎えた第6戦に延長11回サヨナラ負け。シリーズ終了後に、ベストナイン(三塁手部門)を受賞した。(宮崎敏郎 フレッシュアイペディアより)
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千葉ロッテマリーンズから見た唐川侑己
序盤はルーキー荻野貴司や金泰均らの活躍で快調なスタートを切ったものの、荻野貴と唐川侑己の長期離脱など相次ぐ主力の故障や夏場の金泰均の打撃不振などが続き、交流戦以降は徐々に調子を落としたが、上位5チームによるAクラス争いの中で終盤まで首位戦線に食い込み、首位ソフトバンクと2位西武からは2.5ゲーム差、4位の日本ハムと0.5ゲーム差の3位でシーズンを終えた。クライマックスシリーズのファーストステージでは、西武に2連勝。ファイナルステージでは、ソフトバンクに王手をかけられながらその後、3連勝で4勝3敗で連破し、クライマックスシリーズを制覇。通期での勝率3位から日本シリーズに進出したのは、前後期制時代の1973年南海ホークス以来37年ぶりとなった。日本シリーズでセリーグ優勝の中日を4勝2敗1分で下して5年ぶり4度目の日本一となり、パリーグで初めてリーグ優勝せずに日本シリーズを制した球団となった。3位からの日本一は史上初めてである。11月13日、日韓クラブチャンピオンシップではSKワイバーンズを3-0で降して日韓王者に輝いた。12月27日、本拠地の千葉マリンスタジアムがテレビショッピング専門チャンネル・QVCジャパンによる命名権導入に伴い、名称を「QVCマリンフィールド」に改めることを発表した。オフには小林宏之が阪神へ、西岡が大リーグ・ミネソタ・ツインズへそれぞれFA移籍している。また、堀幸一が現役続行を目指して退団するも、他球団からのオファーがなく現役引退。(千葉ロッテマリーンズ フレッシュアイペディアより)
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千葉ロッテマリーンズ (ファーム)から見た唐川侑己
1989年より埼玉県さいたま市南区のロッテ浦和球場を本拠地としている。なお、唐川侑己の出身地であることにちなみ、千葉県成田市より本拠地の移転を要請されている。(千葉ロッテマリーンズ (ファーム) フレッシュアイペディアより)
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