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能登櫻和也から見た嘉風雅継
能都町立能都中学校在学中に相撲を始める。金沢学院大学附属金沢東高校(現在の金沢学院東高校)相撲部を経て角界入りし、2004年1月場所で初土俵を踏む。同期入門には嘉風、玉鷲らがいる。初めて序二段に上がった同年5月場所12日目、君島との6番相撲に二丁投げで敗れた際に負傷したため、13日目の竜聖戦(不戦敗)と翌場所を休場、序ノ口へ落ちる。復帰2場所目の同年11月場所では序二段優勝をし、翌場所は初めての三段目昇進。しばらく三段目に定着していたが、2006年11月場所5日目の男佑戦に上手投げで敗れた際に負傷。8日目の南海力戦(不戦敗)から休場。翌場所も復帰できなかったため序二段へ陥落し、昇降格を繰り返した時期もあった。2008年7月場所に初めて三段目上位へ上がったのを機に、それまで本名をそのまま使用していた四股名を、郷里の名を入れた能登櫻へ改名する。改名場所こそ勝ち越すものの、その後は成績不振の場所も続き、序二段へ降格したが、2010年5月場所では6勝1敗と大勝ちし、翌7月場所では三段目中位まで番付を戻した。(能登櫻和也 フレッシュアイペディアより)
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大相撲平成21年11月場所から見た嘉風雅継
場所前半は朝青龍、白鵬の両横綱とともに、大分県出身のご当地力士・嘉風が活躍。7日目まで勝ちっ放しの7連勝で両横綱とともに場所を引っ張り、ご当地場所を沸かせた。(大相撲平成21年11月場所 フレッシュアイペディアより)
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大相撲平成28年3月場所から見た嘉風雅継
この場所8日目の取組で、横綱白鵬が関脇嘉風に対して駄目押し行為をした上に、土俵下の勝負審判であった井筒親方(元関脇・逆鉾)を負傷させる問題を起こし、後日審判部から厳重注意を受けた。(大相撲平成28年3月場所 フレッシュアイペディアより)
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大相撲平成29年3月場所から見た嘉風雅継
注目の新横綱・稀勢の里は初日から落ち着いた相撲を見せ、連勝を続ける。先場所小結で11番勝って、今場所は大関昇進の足固めとしたい稀勢の里の弟弟子の関脇高安も初日から連勝を続けた。角番の大関照ノ富士も6日目に高安に敗れたのみで久しぶりに好調で、10日目を終わって全勝で稀勢の里・高安、1敗で照ノ富士と平幕の栃煌山が追うという展開だった。翌11日目は、稀勢の里は嘉風を破り全勝を守ったものの、高安が鶴竜との熱戦の末上手出し投げで敗れ遂に1敗に。他の1敗の照ノ富士・栃煌山はそれぞれ勝って、11日目を終って稀勢の里が単独トップに立ち、1敗で照ノ富士・高安・栃煌山が追うという展開に変わった。翌12日目は全勝の稀勢の里と1敗の照ノ富士は勝ったものの、1敗の栃煌山が妙義龍にいい所なく敗れ2敗に後退。また高安も日馬富士の小股掬いに敗れ2敗に後退した。この時点で全勝の稀勢の里を1敗で照ノ富士が追うという展開に変わり、稀勢の里と照ノ富士の一騎打ちの様相がかなり強くなった。ところが翌13日目、事態が急変する。1敗の照ノ富士は鶴竜との熱戦の末寄り切りで勝利したが、全勝の稀勢の里は日馬富士の一気の寄り倒しで敗れ遂に1敗に。更にこの相撲で稀勢の里は左腕を痛め、あまりの激痛で土俵下で立ち上がれないほどだった。(大相撲平成29年3月場所 フレッシュアイペディアより)