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石狩川から見た北海道開発局
戦後、日本発送電が1951年(昭和26年)に分割された後、北海道全域の発送電・配電事業は北海道電力が継承した。北海道電力は引き続き石狩川水系における電力開発を進め、1960年代初頭には石狩川本川上流部に大規模なダム式発電所の計画を立てた。これは上川郡 (石狩国)上川町に堤高118.2mの中空重力式コンクリートダムを建設して有効貯水容量141,000,000トンを有する巨大な人造湖を造り、この莫大な水量を利用して発電を行うというものであった。このダムは計画当初(1960年当時)「大雪ダム」と呼ばれ、1964年(昭和39年)時点では「石狩ダム」と呼ばれていた。だが、後述する石狩川水系総合開発計画の中で治水および農地灌漑に資するため北海道開発局が事業に参画。「石狩ダム計画」は1965年(昭和40年)の石狩川水系工事実施基本計画により北海道開発局が事業主体として行う大雪ダムに継承された。(石狩川 フレッシュアイペディアより)
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平成28年台風第10号から見た北海道開発局
8月31日、緊急災害対策派遣隊(TEC-FORCE)を浸水や土砂災害等の被害の大きかった、北海道開発局管内、東北地方整備局管内に派遣し、被災状況調査を開始。(平成28年台風第10号 フレッシュアイペディアより)
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永山新川から見た北海道開発局
洪水調節機能を果たすため、水路部と堤外地(河川敷)をあわせた幅は、牛朱別川下流部より広い約200mが確保されている。全流路が幾何的な設計をされており、分流部と合流部手前のカーブを除き、直線で構成されている。牛朱別川の流れる側に樋門を設置し増水時に本流より優先して水を流すという治水機能としての合理性を追求したことと、殖民区画によって格子状に形成された永山市街および田圃地帯にあわせ設計された結果が、これらの特徴となって現れた。このようにきわめて人工的な水路であるが、河川管理者の北海道開発局はなるべく自然に近いものにしようとビオトープなどの水辺の環境整備に取り組んでいる。親水公園やミニ博物館、堤防に設置された排水桶門の上屋を周辺の歴史建造物を模した建屋とするなど、河川整備以外の部分でも趣向を凝らしている。(永山新川 フレッシュアイペディアより)