
歌登町営軌道から見た北海道開発局
戦後、歌登村(1962年(昭和37年)1月以降は歌登町)に経営が委託される。1956年(昭和31年)には、鶴居村営軌道とともに簡易軌道では初の北海道開発局による自走客車の導入が行われた。しかしその後路線は順次縮小し、1971年(昭和46年)には当時建設中であった美幸線とルートの一部が重複することから、軌道を撤去して建設用地に充てるよう日本鉄道建設公団より求められたことで全廃に踏み切った。輸送はバスやトラックなどに置き換えられたが、結局、美幸線自体も未成線で終わっている。(歌登町営軌道 フレッシュアイペディアより)