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経済力から見た国防
経済を国力として捉える試みには多くの先駆者がいる。経済学者のアダム・スミスは『国富論』において重商主義の批判と市場経済の在り方を論じたが、同時に軍備の必要性と保護主義を論じており、当時のイギリスの植民地政策についての植民地を経営するために必要な軍事力や行政能力を超える収入がなければならないと指摘した。またアレクサンダー・ハミルトンはアメリカにおける製造業の保護と振興を国防の観点から論じた『製造業に関する報告』を著しており、この考えた方は経済学者フリードリヒ・リストの思想にも認めることができる。リストはアメリカやイギリスの経済についての研究を進め、経済力が国際的地位を高めることを主張しており、国家が自給自足の経済を持たなければ戦争のような非常事態に対応することができなくなると考えていた。(経済力 フレッシュアイペディアより)
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フランソワ・レオタールから見た国防
1986年文化相として入閣する。なお、この時のシラク内閣は、第一次コアビタシオンに当たり、シラク首相自身はレオタールを国防相に任命しようとしたが、外交と国防を大統領の専管事項と主張したミッテラン大統領の反対にあって果たせなかった。文化相時代に公共放送局であったTF1の民営化を担当した。1993年エドゥアール・バラデュール内閣の国防相に就任。1995年のフランス大統領選挙ではバラデュール陣営に加わった。この大統領選挙では保守陣営がシラク派とバラデュール派に分裂したが、選挙でシラクが勝利したため、選挙後成立したアラン・ジュペ内閣では国防相から外された。1996年フランス民主連合総裁選挙に立候補し、UDFの分裂を阻止する。2001年国連のマケドニア平和維持活動に参加した後、政界を引退した。(フランソワ・レオタール フレッシュアイペディアより)
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