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地下鉄サリン事件から見た霞ケ関駅 (東京都)
このため事件5日前の3月15日に営団地下鉄霞ケ関駅に井上嘉浩、山形明、高橋克也が「六法煙書」と呼ばれたボツリヌストキシン散布用のアタッシェケースを3つ放置したが、水蒸気が出るだけで失敗した。井上らは科学技術省がつくったものなのでどうせ失敗すると思っていたという。遠藤誠一は毒が完成していないのにやらされたとしている。なお、ケースは警視庁・警察庁の職員たちが利用する「A2」出入口構内に置かれていた。(地下鉄サリン事件 フレッシュアイペディアより)
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地下鉄サリン事件から見た上九一色村
またその頃、サリン70t製造を目指してサリンプラント計画が進行していたが、1994年7月などに異臭騒ぎを起こし周辺の土壌を汚染していたため、1995年1月1日、読売新聞朝刊が「上九一色村でのサリン残留物検出」をスクープ。読売のスクープを受けオウムはサリンを処分し第7サティアンに建設中だったサリンプラントは神殿に偽装した。しかし中川智正がサリンの中間物質メチルホスホン酸ジフロライドCH3P(O)F2(裁判での通称「ジフロ」、一般的には「DF」)を密かに保管しており(諸説あり、後述)、これが地下鉄サリン事件に使用されることとなったとされる。(地下鉄サリン事件 フレッシュアイペディアより)
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地下鉄サリン事件から見たアンダーグラウンド (村上春樹)
作家の村上春樹による被害者へのインタビュー集『アンダーグラウンド』があるほか、自身も事件に巻き込まれた映画プロデューサーのさかはらあつしによる著書『サリンとおはぎ』がある。(地下鉄サリン事件 フレッシュアイペディアより)
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地下鉄サリン事件から見た松戸車両センター
マスク姿の林は千駄木駅より入場し、綾瀬駅と北千住駅で時間を潰した後、JR東日本の常磐線からの直通、我孫子発代々木上原行き列車番号A725Kの先頭1号車に北千住駅(7時48分発)から乗車した。8時2分頃新御茶ノ水駅への停車直前にサリンのパックを傘で刺し、逃走した。列車はそのまま走行し、二重橋前駅 - 日比谷駅間で乗客数人が相次いで倒れたのを境に次々に被害者が発生し、霞ケ関駅で通報で駅員が駆け付け、サリンを排除した。当該列車は霞ケ関駅を発車したが更に被害者が増えたことから次の国会議事堂前駅で運転を打ち切った(その後、回送扱いとなり、綾瀬方面の車両基地へ移動)。サリンが入っているとは知らずにパックを除去しようとした駅員数名が被害を受け、うち駅の助役と応援の電車区の助役の2人が死亡し、231人が重症を負った。(地下鉄サリン事件 フレッシュアイペディアより)
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地下鉄サリン事件から見たオウム真理教東京総本部火炎瓶投擲事件
また井上が島田裕巳宅爆弾事件、東京総本部火炎瓶事件を実行し、事件は反オウムの者によるオウム潰しの陰謀と思わせて同情を集めることも計画された。石川公一も自分の足を狙撃して自作自演事件を起こしたらどうかと志願したが、麻原はそこまでしなくていいとして止めた。(地下鉄サリン事件 フレッシュアイペディアより)