-
博愛会病院 (岐阜県)から見た地域医療
垂井町では最大規模の病院であり、大垣市西部を含め地域医療の拠点となっている医療機関である。東海地方で初めての療養型病床群の設置や回復期リハビリテーション病棟の新設など、特にリハビリテーションや慢性期医療に力を入れており、西濃地域におけるリハビリ支援サブセンターの機関指定もされている。また「博愛会」の関連施設として垂井町内に介護老人保健施設や訪問看護ステーションなどを多数展開しており、医療・福祉・保健分野における垂井町の中核拠点となっている。診療面においては循環器科や消化器科など地域ニーズの多い診療科に重点をおいている。(博愛会病院 (岐阜県) フレッシュアイペディアより)
-
志田周子から見た地域医療
1910年(明治43年)、教員だった父荘次郎、母せいの長女として西村山郡左沢町(現大江町)に生まれる。西村山郡大井沢村(現西川町)の大井沢尋常小学校を経て山形県立山形第一高等女学校(現山形県立山形西高等学校)に進学。村で初めての女学校生と話題になる。1928年(昭和3年)東京女子医学専門学校(現東京女子医科大学)に進学。1935年(昭和10年)「3年でいいから」という父荘次郎の懇請で当時無医村だった大井沢村にもどり唯一の村医となる。その後婦人会長、村会議員などを歴任。20年以上にわたり村の生活向上に尽力する。同時に結城哀草果に師事するアララギ派の歌人としても活躍した。1959年(昭和34年)保健文化賞を受賞。その他医師会、県知事から数々の表彰を受賞。1962年(昭和37年)癌を患い死去。享年53。生涯を独身のまま地域医療に捧げた。(志田周子 フレッシュアイペディアより)