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  • オリックス・バファローズ

    オリックス・バファローズから見た坂口智隆坂口智隆

    シーズンも開幕から低迷が続き、5月21日にコリンズが辞任を発表した。この辞任を受け、大石大二郎ヘッドコーチが監督代行に就任し、8月2日に監督に昇格した。大石の監督代行就任後、6月3日の巨人戦に勝利し、阪急時代も含めて通算4500勝を達成するなどチームは持ち直していった。9月24日の対ソフトバンク戦に勝利して2001年シーズン以来7年ぶり、オリックス・バファローズとしては初のシーズン勝ち越しを決め、9月29日の対埼玉西武ライオンズ戦に勝利して、初のクライマックスシリーズ進出を決めた。シーズンも2位で終わり、クライマックスシリーズでは第1ステージで3位日本ハムと対戦。2連敗で敗れ日本シリーズ出場はならなかったものの、15勝を挙げて新人王を獲得した小松聖を筆頭に、山本省吾・金子千尋・近藤一樹が先発10勝、加藤大輔が最多セーブ、坂口智隆はゴールデングラブ賞、タフィ・ローズは打点王を獲得するなど、チームの戦力は大幅に充実した。オリックス・バファローズ フレッシュアイペディアより)

  • 大西宏明

    大西宏明から見た坂口智隆坂口智隆

    の開幕はベンチスタートだったが、坂口智隆の不振により1番・中堅に抜擢された。師匠である鈴木の命日であった5月17日の対ソフトバンク戦では、7回表の打席で鈴木の応援歌が演奏される中、和田毅から同点の2点適時打を放って逆転勝利に繋ぎ、チームのシーズン2度目の大型連敗を6で阻止した(大西は「鈴木さんが打たせてくれた」とコメントしている)。一時は4割を超える打率を残し、完全に不動の1番として定着したかに見えたが、6月に入ると大幅に調子を落とし、以後はほぼ左投手のときに出番が限定される。その後も調子はあがらず、9月に降格。再昇格した坂口が好調だったため、閉幕まで1軍に戻ることはなかった。結局、83試合に出場して打率.247、4本塁打と不本意な成績に終わる。対左投手の方が打率が低く、1番で多く起用されたにもかかわらず、得点圏打率こそ.389ながら、無走者からの出塁率が低いなど、ちぐはぐな1年であった。大西宏明 フレッシュアイペディアより)

  • アーロム・バルディリス

    アーロム・バルディリスから見た坂口智隆坂口智隆

    シーズン当初はグレッグ・ラロッカの守備固めでの出場が多かった。だが、5月5日の対ソフトバンク戦では、代走での途中出場ながら延長戦で2安打を放つと、そこから15試合連続安打を記録。5月8日・9日の対ロッテ戦では2試合連続本塁打を放ち、9日の試合では4安打3打点の活躍で、移籍後初のお立ち台に上がった。以後、故障を押しながらの強行出場で打撃の調子が落ち気味だったラロッカに代わり、スタメンで出場するようになった。5月22日の対阪神戦では鶴直人から決勝本塁打を放ち、古巣を見返す働きを見せた。連続試合安打がストップした5月29日の対ヤクルト戦で、スイングした際に左中指伸筋腱を脱臼したが、6月10日の対巨人戦で復帰すると、8回裏に決勝打を放ち、チームの交流戦優勝を引き寄せる勝利となった。以後も、勝負強い打撃と軽快な守備で三塁手のレギュラーとして活躍した。打順は専ら6・7番を担ったが、坂口智隆が二軍降格した際は1番として3試合、福岡ドームでの対ソフトバンク戦では、相手の先発が和田毅など左投手の時は2番として4試合出場した。結局、規定打席にはわずか12打席及ばなかったものの、118試合に出場して打率.301, 14本塁打50打点の好成績を収め、守備面でも100試合以上守備に就いた三塁手の中では最少の7失策と安定した守備を披露した。アーロム・バルディリス フレッシュアイペディアより)

  • せやねん!

    せやねん!から見た坂口智隆坂口智隆

    スポーツ選手では「せやねん!スポーツ」のゲストとして最多出演している中山雅史は「元祖せやねん!ファミリー」扱いとなっている。また、オリックスバファローズに当時在籍していた大西宏明は「せやねん!専属広報部長」として選手紹介やキャンプリポートをしていた。横浜ベイスターズに移籍後も、インタビューなどでVTRではたびたび登場しており、「せやねん!専属広報部長」の後任として、同期入団の坂口智隆を自ら指名。2008年12月13日放送では、“新旧・広報部長”である大西・坂口両選手が揃ってスタジオ生出演した。せやねん! フレッシュアイペディアより)

  • 野中信吾

    野中信吾から見た坂口智隆坂口智隆

    は代走要員として開幕一軍入りを果たす。しかし、4月16日の対楽天戦で、同点の二塁走者として代走で出場するも、坂口智隆のヒットで打球判断を誤って三塁に止まり、結局後続の凡退で同点に追いつけず試合に敗れた。5月22日に登録抹消されて以降は、後藤光尊や大引啓次ら内野陣が安定し始めたのもあり、一軍に昇格する事なくシーズンを終えた。12試合の出場に留まり、打撃も3打席で1犠打・2三振で3年連続無安打だった。野中信吾 フレッシュアイペディアより)

  • 田口壮

    田口壮から見た坂口智隆坂口智隆

    は2月の春季キャンプで右肩を痛め、開幕に出遅れるも、5月10日に一軍に昇格。5月18日の阪神戦では3番・右翼手として出場し、岩田稔から先制タイムリーを放ち2度目のお立ち台に挙がった。その後も低迷したチーム打率や後藤光尊が二軍落ちした状況の中で3番としてチームを牽引した。後藤の復帰後は主に2番打者として起用され、交流戦では弟分である坂口智隆に次いで全体2位の打率.363を記録する。しかしその後は不調に陥り、8月29日に登録抹消される。その後は痛めた右肩の影響もあり一軍に昇格することは無く、10月13日に退団となった。。翌14日に右肩を手術した。12月2日、自由契約公示された。田口壮 フレッシュアイペディアより)

  • SPEED世代

    SPEED世代から見た坂口智隆坂口智隆

    7月7日 - 坂口智隆、プロ野球選手SPEED世代 フレッシュアイペディアより)

  • 超特大ゴーヤ

    超特大ゴーヤから見た坂口智隆坂口智隆

    2010年シーズンからはオリックス・バファローズへマスコットとして異例の移籍を果たす。理由は3月9日、スカイマークスタジアム(現:ほっともっとフィールド神戸)へ楽天の応援に出向いていたところ、なぜかそこで象に轢かれていたところをオリックスの坂口智隆・赤田将吾両選手に助け出され、恩返しとして勝手にオリックスに寝返った。ちなみに象に轢かれたが、それがきっかけで「象が好きになった」とゴーヤに100の質問で明かしている。超特大ゴーヤ フレッシュアイペディアより)

  • オリックス・バファローズの応援団

    オリックス・バファローズの応援団から見た坂口智隆坂口智隆

    坂口智隆個人幕:赤地に「炎えろ紅き戦士 坂口智隆 大阪紅牛會」オリックス・バファローズの応援団 フレッシュアイペディアより)

  • テリー・コリンズ (野球)

    テリー・コリンズ (野球)から見た坂口智隆坂口智隆

    一方で、コリンズは目をつけた選手を積極的に起用し、それが奏功するケースも多かった。辛抱強く起用した坂口智隆や下山真二は、2008年には主力選手に成長した。下山はコリンズ辞任の翌日、自身のブログ上で「(コリンズの辞任は)ショックだった」「自分の野球人生を良い方に変えてくれた」と記し、コリンズに感謝の意を表している。また、辞任前日の5月20日にも、カブレラの負傷を受け、2年ぶりの一軍昇格となった一輝をいきなり6番スタメンに抜擢すると、一輝は7回裏2死満塁の場面でジェフ・ウィリアムスから逆転決勝2点タイムリーを放ち、後の飛躍のきっかけを掴んだ。また、投手陣の例としては、中継ぎで起用していた金子千尋・山本省吾・小松聖を先発に、加藤大輔を抑えに転向させ、更には開幕直後の先発投手陣の相次ぐ離脱を受け、一軍での実績が乏しかった近藤一樹を先発に抜擢した。すると、2008年に小松は15勝を挙げて新人王に、金子・山本・近藤も10勝(金子は2010年に最多勝をとるまでに成長した)を挙げ、加藤は33セーブで最多セーブ投手を獲得したように、結果的に投手陣の整備は成功した。テリー・コリンズ (野球) フレッシュアイペディアより)

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