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1967年の読売ジャイアンツから見た堀内恒夫
10月10日 - 堀内恒夫投手、広島カープ戦(後楽園球場)でノーヒットノーラン達成。おまけに自ら3本の本塁打を連発する快挙。これを含めて2回から7回まで6イニング連続本塁打の新記録も達成する。因みにこの試合では長嶋茂雄三塁手は欠場、王貞治一塁手はノーヒットだった。(1967年の読売ジャイアンツ フレッシュアイペディアより)
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1970年の日本シリーズから見た堀内恒夫
ロッテ・木樽正明と巨人・堀内恒夫の投手戦となった。4回表、ロッテは2つの四球と山崎裕之のヒットで二死満塁のチャンスで、早くも千田啓介に代打の切り札・江藤慎一を送るが、三振に倒れた。ロッテは5回にも二死満塁のチャンスを迎えるが、有藤通世がショートゴロでチャンスを生かせなかった。11回裏、巨人の黒江透修が木樽の140球目をとらえサヨナラ本塁打。堀内は158球を投げ、延長11回を完封した。巨人の日本シリーズでのサヨナラ勝ちは1965年の対南海第5戦(土井のタイムリーで日本一決定)以来5年ぶり3度目(サヨナラ本塁打での決着は巨人では初。全体としても前年の対阪急第2戦の長池徳士のタイムリーに続いて史上13回目のサヨナラゲーム)。(1970年の日本シリーズ フレッシュアイペディアより)
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カーブ (球種)から見た堀内恒夫
カーブの中でも特に球速が遅く、なおかつ大きく曲がる物をスローカーブと称する事がある。80?90km/h程度のスローカーブを投げる投手もおり、速球との球速差が40?50km/h以上になる事もある。打者から見れば速球との球速差が大きくてタイミングを合わせにくく、上から落ちて来るような軌道でストライクゾーンに入って来るためミートしにくい。直球が速いほど球速差が大きく効果的なため、金田正一、堀内恒夫、今中慎二などの速球派投手が得意とした。逆に直球の遅い投手が緩急をつける目的で多投することもあり、星野伸之、石川雅規、山本昌、田口麗斗などがその典型である。(カーブ (球種) フレッシュアイペディアより)
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長嶋茂雄から見た堀内恒夫
1974年11月21日、巨人の監督に就任した長嶋は、「クリーン・ベースボール」を標榜した。前監督の川上が築き上げた確率野球(自らの失策を減らし、相手の失策を誘い、そこにつけこんで勝利するスタイル)を捨て、投、打の力量差がそのまま勝敗につながるという信念のもとにチームを再編。そのためヘッドコーチに関根潤三、投手コーチに宮田征典、守備・走塁コーチ補佐に黒江透修、バッテリーコーチに淡河弘などをそれぞれ招聘し、川上は作戦コーチの牧野茂、投手コーチの藤田元司に残るように要請し、森昌彦をコーチで残せ、堀内恒夫をトレードで出せとアドバイスしたが、長嶋は川上時代のコーチ陣を一掃し、川上のアドバイスをすべて蹴っている。当時の長嶋は森とは犬猿の仲であった。新背番号は「90」。新背番号を考えていた長嶋は当時小学生の息子の一茂に相談した際に「現役のときは3つの3があった(打順が3番、背番号3、3塁手)から、3を3つ足して9」と言われ、それをきっかけに「90」にした(当時背番号9は吉田孝司が付けていたため)。(長嶋茂雄 フレッシュアイペディアより)
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