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エリモエクセルから見た夏バテ
このあと宝塚記念は回避して、札幌記念に出走した。秋華賞以来の再戦となるファレノプシスらGI馬4頭が出走するなど好メンバーが揃っていたが、第4コーナーで3番手につける積極的なレース運びをしたものの直線で失速し、セイウンスカイの6着に終わった。レース後夏負けにかかり、体調がなかなか回復せず、エリザベス女王杯の前哨戦に定めた府中牝馬ステークスも完調とは言えない状態で臨むこととなった。人気も3番人気に甘んじるなど、調子を不安視する見方も強かったが、上がり3ハロン33秒9という豪脚を見せ、エガオヲミセテを半馬身差し切り勝利した。(エリモエクセル フレッシュアイペディアより)
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小林ハルから見た夏バテ
2003年(平成15年)9月、例年夏バテを起こす傾向にあったハルは体調を崩し、県立病院に入院。間もなく自力での咀嚼・嚥下が困難と判断され、チューブを通して直接胃に栄養分が投与されるようになった。翌2004年(平成16年)秋にも体調を崩し入院。重体説も流れたが、半月ほどで退院した。2005年(平成17年)1月24日、ハルの105歳の誕生会が胎内やすらぎの家でとり行われた際には車椅子に乗って会場に姿を現し、花束を受け取った。同年4月25日、老衰のため死去。。前日まで体調に大きな変化は見られなかったが、午前1時頃、呼吸が浅くなっていることに気付いた施設職員が看護師とともに様子を見守っていたところ、1時間ほどで呼吸が停止した。「本当に苦しむこともなく、ねむるよう」な最期であったという。(小林ハル フレッシュアイペディアより)