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夏八木勲から見た三島由紀夫
一方、東京の15期生の仲間達が小さな劇団を立ち上げて活動しているのを耳にしても観劇する事もできず、映画も封切りが1か月遅いため、京都の生活にジレンマを抱いていた。加藤泰から「映画『懲役十八年』に出ないか?」と誘われたものの、フラストレーションが溜まり始めていた矢先だったため断り、1968年に東映を退社。晩年に「新人といっても27歳のぼくを東映は売り出してくれ、加藤監督は直接オファーくれたのに…。本当に無礼だった」と悔恨の情を吐露している。東京へ戻り、三島由紀夫主宰の劇団浪蔓劇場に参加。以降、アクション映画・刑事ドラマ・時代劇・やくざ映画で主役から敵役・悪役を演じ、ホームドラマ『鳩子の海』に出演するなど、幅広く活動した。(夏八木勲 フレッシュアイペディアより)
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