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食堂車から見た夜行列車
戦後は、連合国軍の支配下により1945年から連合軍専用列車の食堂車の営業から再開した。その後、1949年にはスハ32形やオハ35形からの改造による半室合造車オハシ30形が登場し、同年9月の特急列車「へいわ」(翌1950年「つばめ」に改称)復活と同時に同列車と東京 - 鹿児島間の急行1・2列車に連結・営業を復活させ、以後順次拡大していった。しかし、1960年代ごろより普通列車・急行列車が徐々に客車から電車・気動車化されると急行形電車ではビュフェに転換、気動車では特急用車両のみ食堂車が製造されたことから、食堂車は客車による夜行列車ないし特急列車中心の営業となった。(食堂車 フレッシュアイペディアより)
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新幹線から見た夜行列車
東京駅では東海道新幹線と東北新幹線の線路が接続されていないため、博多や新大阪から新函館北斗まで(その逆も)直通列車で行くことはできず、東京駅での乗り換えが必要となる。国鉄時代の利用状況の調査で東京都内を通過する需要が非常に小さいということは判明していたが、当時博多・札幌開業の際には夜行列車の運転も計画されていた。そのため、全列車が東京駅での折り返すのであれば、ホームの容量は大幅に不足するとみられていた。そこで、両線を直通運転として東海道の列車は田端基地、東北・上越の列車は品川基地での折り返しとすることとして建設計画が立てられた。あわせて、田端以北に異周波デッドセクションを設けることが計画され、直通運転の試験車両として961形も製造された。実際に、東京駅の東海道新幹線14・15番線ホームは直通を想定して作られたため、ホームが東北新幹線側にカーブしている。それでも、東京駅のホーム容量が不足する状態となったときは、上越新幹線を大宮駅から新宿駅へ分岐させる構想としていた。しかし、ダイヤの乱れが相互に波及し運転管理面に多くの問題が予想されること、周波数が、東海道・山陽新幹線:60 Hz・東北・上越新幹線:50 Hzと異なることや、東北・上越新幹線用のものには降雪対策が施された車体設計にしなければならない点などから、1996年に計画の中止が発表された。計画については、「東北新幹線」も参照。(新幹線 フレッシュアイペディアより)
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ドリーム号 (東京 - 京阪神)から見た夜行列車
首都圏と京阪神地区を結ぶ夜行高速バスは、本家のJR系ドリーム号以外の他社路線バス(関西・関東の大手私鉄系)に加え、近年格安のいわゆる高速ツアーバス(2013年8月1日以降はその多くが「新高速乗合バス」に移行)の参入もあり、かなりの激戦区となっている。もともと国鉄の東海道新幹線や在来線夜行列車の補完目的であったドリーム号は、おおむね発車時刻が22時以降(21時台に発車する便もある)と全体的に遅めの設定となっているため、1日の時間を有効に使えるメリットから根強い人気があり、特に週末(金?日曜日)では予約を取ること自体が困難な盛況ぶりである。(ドリーム号 (東京 - 京阪神) フレッシュアイペディアより)
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会津高原・たかつえスキーリゾート&ホテルズから見た夜行列車
南会津町などの出資による第三セクター会社で、野岩鉄道会津高原尾瀬口駅より車で30分の距離にある会津高原・高杖原にてスキー場「会津高原たかつえスキー場」、リゾートホテル「会津高原アストリアホテル」等を経営している。スキー&スノーボード客用に冬季は東武鉄道浅草駅から直通の夜行列車が運行される。(会津高原・たかつえスキーリゾート&ホテルズ フレッシュアイペディアより)
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アウクスブルク中央駅から見た夜行列車
ドイツ鉄道ウルム・ミュンヘン線上にある当駅はICEやインターシティによってミュンヘン、ベルリン、フランクフルト・アム・マイン、ハンブルク、シュトゥットガルトなどドイツ各地の主要都市と結ばれている。またユーロシティや夜行列車でアムステルダムやウィーンなど他のヨーロッパの都市とも結ばれている。また、1日1往復ではあるがミュンヘン中央駅からのTGVが当駅にも停車しパリ東駅まで5時間30分前後で結んでいる。欧州連合の高速鉄道網整備計画の検討路線上にもあるため改良が計画されている。(アウクスブルク中央駅 フレッシュアイペディアより)
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ル・キャピトール (列車)から見た夜行列車
パリからレゾブレ(Les Aubrais, オルレアンの隣駅)、ヴィエルゾン(Vierzon)、リモージュ、カオール、モントーバンなどを経由してトゥールーズに至る全長712.3kmの路線が全通したのは1891年のことである。第二次世界大戦前まで、この区間における最速列車は夜行列車のバルセロナ急行であり、所要時間は8時間50分だった。昼行列車はこれより停車駅が多く、所要時間が長くなっていた。(ル・キャピトール (列車) フレッシュアイペディアより)