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平成24年梅雨前線豪雨から見た大分県
2012年7月には、7月3日に大分県・福岡県を中心とする地域で、また、7月12日から13日に熊本県・大分県を中心とする地域でそれぞれ豪雨が発生し(平成24年7月九州北部豪雨)、いずれも、九州地方をはじめとする西日本を中心に、各地で土砂崩れ、洪水などの被害が起きた。本来梅雨の期間、梅雨前線は何度か入れ替わりながら停滞するが、2012年は本州の梅雨入り以降6月7日21時に発生した同一の前線が7月19日午前3時に消滅するまで続いた。台風4号から変わった温帯低気圧が伴った前線もこの梅雨前線である。被害の大きかった平成24年7月九州北部豪雨の後も台風7号の影響による大雨等から、九州北部では7月23日の梅雨明けまで雨が続いた。台風4号・7号本体については該当項目参照。(平成24年梅雨前線豪雨 フレッシュアイペディアより)
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2002 FIFAワールドカップから見た大分県
日本では当初、日本による単独開催を視野に大会開催の準備を進めていたために1993年(平成5年)1月に最初の国内開催都市候補地を選定した。候補の15か所(札幌市、青森県、宮城県、茨城県、埼玉県、千葉県、横浜市、新潟県、静岡県、愛知県、京都府、大阪市、神戸市、広島市、大分県)の中、この時点で開催予定施設が完成していたのは1994年アジア競技大会のために整備されていた広島市の広島広域公園陸上競技場(広島ビッグアーチ)のみ、小幅な改修で対応可能だったのは大阪市の長居スタジアムのみで、あとは各自治体がスタジアムを新設する予定になっていた。(2002 FIFAワールドカップ フレッシュアイペディアより)
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プロレスアワーから見た大分県
大木が本格参戦した「'80ビッグ・チャレンジ・シリーズ」では、当初参戦が発表されていた外国人選手4人の内、実際に参戦したのはルダックとキューバン・アサシンだけで(ルダックは1980年4月12日開催の開幕戦神奈川県秦野市大会〈テレビ未収録〉から、アサシンは4月21日開催の第6戦広島県庄原市大会〈テレビ未収録〉からそれぞれ参戦)、残る2人は前述のとおり参戦キャンセルとなったため、秦野大会からジョージとジョンストンが2人の代役として参戦したが、秦野大会から4月18日開催の第5戦大分県津久見市大会(テレビ未収録)までの5戦における外国人選手は、ルダック、ジョージ、ジョンストンの3人という陣容となってしまった。このシリーズでは、4月13日開催の第2戦後楽園ホール大会(4月14日・4月21日に録画中継、4月14日放送分は途中で放送が終了した前述の木村VSパワーズのIWA世界ヘビー級王座戦も再放送された)、4月26日開催の第10戦茨城県土浦スポーツセンター大会(4月28日に録画中継)、4月28日開催の第11戦岩手県大船渡市体育館大会(5月5日・5月12日に録画中継)、4月30日開催の第13戦青森県弘前市民体育館大会(5月19日に録画中継)、5月10日開催の第20戦青森県八戸市体育館大会(5月26日に録画中継)、5月11日開催の第21戦岩手県二戸市体育館大会(6月2日に録画中継)、5月15日開催の第22戦大宮スケートセンター大会(6月9日・6月23日に録画中継、メインは大木VSルダックのインターナショナル・ヘビー級王座戦〈日本プロレス「'73アイアン・クロー・シリーズ」以来、7年1か月ぶりの日本での防衛戦〉)の7大会を収録したが、分割放送を実施した後楽園大会・大船渡大会・大宮大会の3大会において、大木の試合を1週目に放送したり、青森県内で行われた番組収録で木村のIWA世界ヘビー級王座戦(弘前大会はルダック戦、八戸大会はジョージ戦)を開催するなどしてカードや視聴率の両面で立て直しを図ろうとしたが、分割放送自体は大宮大会が最後となったと同時に、草津登場試合の放送も、6月23日放送の木村とのコンビで対戦したジョージ&アサシン戦が最後となった。(プロレスアワー フレッシュアイペディアより)